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2024年01月31日
制末行事
冬期制末、午後3時半、隔宿諷経、約一時間ほど本堂など各所を巡ってお経を上げる。外は小雨模様、傘を差しながら各所を回る。毎年の事ながら、比較的天気は良い方なのだが、今年は少々鬱陶しい。夕方総茶礼があって、制末行事、すべて終了となる。もうこれをどのくらい繰りかえしたか知れない。この同じ事を同じように繰りかえすことが出来るほど有り難いことは無い。僧堂は全てこれだ。改めてこの繰り返しに感謝である。何事も無し、これが一番だ。
制末
雪安居も今日で終わり、明日からは制間になる。ほっと一息付くってわけ。もうこの繰り返しを何十年もやって来たので、万事普通。この僧堂で42年になる。病気ひとつせず元気でやって来られたのは周囲の温かい支援と神仏のご加護である。有り難いことである。この感謝を忘れずにこれからも精々頑張って修行を続けて行きたいと思っている。本音のところは、ボツボツ賞味期限切れだから、誰か代わってくれね~かな~、と思っているのだが、だ~れもいないのだ。トホッホッ。たまに僧堂にやって来て、偉そうに解ったようなことをほざく輩は沢山いるが、口先だけで中味の無い奴ばかりだ。失礼ながら言わせて貰うとそうなる。まっ、兎も角、日々修行に邁進である。僧堂でやることは他に何も無い。棺桶、片足突っ込むまで、やり抜くことだ。
2024年01月30日
有由有縁
うゆうえん、どう読んだら良いのか解らないが、出会いに偶然は無い、すべてに理由がある、という意味だそうだ。なかなか深い言葉ではないか。私も今年は82才になるが、思えばどれほど沢山の出会いがあり、別れがあったか知れないが、それぞれに理由がある。会うは別れの始め、なんて言葉もあるが、出会いも別れも、それぞれ深い意味があるような気がする。これは善し悪しの問題では無く、人間、そう言うものなのだ。一度の出会いが終生の出会いになるのなら、それに越したことは無いが、なかなかそうはいかない。人間長く生きたら、長く生きたぶん、慚愧の念も深まる。良く老いてだんだん”枯れてくる”なんて言い方をするが、それって本当だろうかと思う。そんな単純なものじゃ無い気がする。生きた分、ドロドロ、慚愧の念も深まる、そう思っている。だからなお一層精進努力が要るのだ。
2024年01月24日
今日は朝から雪
アレヨッという間に積雪20センチ、境内一面雪に埋もれた。今なお風に舞っている。窓越しにそれを眺め、寒そう~っ!今冬一番の雪、まっ、これくらいの処で済んでくれれば良いのだが。僧堂は冬期制中も残すところ後わずか、2月1日講了で、制間となる。ほっと一息、肩の荷が下りる。この繰り返しを雲水修行中から数えれば、もう60年以上続けてきた。お陰で健康なのが一番嬉しい。制末の講了・起単留錫等々、結構忙しい。バタバタして2月を迎えれば、晴れて制間、一息つく。私も今年82才に成るのだが、この老齢になっても、雲水と修行できるのは、何より有り難い。
2024年01月21日
檀徒の葬儀
檀家の葬儀があり、雲水と二人で行ってきた。ごく近くに専門の葬儀場があるので、とても便利だ。一寸した合間に済ませ、接心には影響なし。私自身の老化もあるのかも知れないが、万事に鬱陶しくなってきた。何も無いのが一番だ。机の傍らで、猫のタマちゃんがスヤスヤ寝息を立てて寝ている。窓の外の山の木々が微かに揺れている。今夕接了。あっという間の一週間だった。
2024年01月19日
ほっと安堵
頭を一度、しらべましょう!といきなりお医者さんから言われたときは、ガ~ン!私もハイ~!これまでよ~、かと思って、酷く落ち込んだ。昨日、精密検査の結果、何も心配はありません!と言われ安堵の胸を撫で下ろしたっつわけだ。目の前がぱっと明るくなった。ものは考えようで、何時もお医者さんに診て貰っているから、こう言う風に先手先手を打って、要心できるわけだから、転ばぬ先の杖、ってわけ。いずれにしても年齢的にはそう言う心配も出てくるのだから、一層日頃から、耄碌しないように気をつけて、日々過ごそうと、改めて思った。
2024年01月18日
脳神経内科へ
ついに私のドタマは賞味期限切れのようだ。これから市民病院の脳神経内科へ行ってくる。何時もお世話になっている内科の先生の紹介である。脳神経内科っつうのは、要するに頭がパ~ッ!になったって~ことか。少々心配!日常さしたる仕事をしているわけでも無し、至って暢気に暮らしている。にも拘わらず、脳神経がやられているとはこれ如何に!ついに私も、ハイ!これま~で~よ!ってえことか?間もなく市民病院へ行くのだが、心臓がドキドキしてきた。結果はまたお知らせする。
2024年01月14日
初釜
山内K寺で、恒例の初釜があり、出掛けてきた.例の如く次第で、数人の知人達と一緒に和やかに美味しいお茶を頂きながら、お喋りをして帰ってきた。今日は一日中スカッと晴れ上がり、爽やかな気持ちの良い日和である。ガラス越しに、山の木々がユラユラ揺れて、陽に輝いている。今日は把新灸治、明日から今制、最後の大接心である。月末には、冬期の制中も終わって、起単留錫・講了などで、冬期の制中は終わって、2月からは制間となる。まっ、この繰り返しを幾度もやって来たが、気持ちの一区切りである。僧堂はこのメリハリの具合が実に良い。
松蔭会初釜
今日は恒例の初釜で山内のお寺へ出掛けた。新年恒例の行事である。何時ものメンバ~で一服頂いた。こう言うのは毎年のことで別にどうっつことはないのだが、同じ事を普段通りにやることが出来るというのが有り難い。好天にも恵まれ、清々しい気持ちになった。さて、あっという間に新年も半月たった。明日から今制、締めくくりの夏末大接心である。僧堂は矢張り、大接心でピリッ!と締まった一週間が一番だ。何時も思うのだが、硬軟実によく出来ている。私はこの繰り返しをもう、62年間も続けてきた。健康で修行が大好きで、それが出来る環境にいることが出来た。人生、こんな幸せなことは無い!
2024年01月08日
正月七日も早すぎて・・・
ボ~ッとしているうちに、正月七日も早すぎた。僧堂によると元旦からひっきりなしに年始の客が訪れると言うところもあるようだが、うちは静まりかえっている。超静かな新年を迎える。これが何時もの正月である。部屋でゴロゴロ、完璧骨休め。大いに英気を養った。今日は早や8日、世の中は既に動き出しているのだろうが、うちではなお動く気配は無い。この寺に来た早々は、こう言う正月の迎え方は初めてだったので、何ともこの空振り常態が馴染めなかったが、ここへ来て40数年も経って、今ではピッタリしてきた。この調子、この調子!である。一週間後には今制、締めくくりの大接心も控えており、ここいらでもう一度褌を締め直す。
2024年01月06日
あっという間に・・・
今日は6日、11時から初月忌。首尾円成で、新年の行事も全て終わって、日常に戻る。毎年の事ながら、ほっと一息付く。9日後、冬期締めくくりの大接心がある。これが無事に終わって、講了、起単留錫で、2月1日より制間となる。雲水の頃から今までこの繰り返しをやってきたのだが、一連の行事が終わるとスッと肩の荷が下りて心も軽くなる。今冬は比較的暖かく、雪が舞う事もなく、穏やかな日和が続いた。修行に楽は無いが、ほっと肩の力が抜ける。もうこの繰り返しを60年以上続けてきた。今年は82才になるが、こんな老人になっても、大事なご用を頂くことが出来るのは、何より有り難く尊いことと思う。
2024年01月04日
正月四日
あっという間にのんびりの三が日も過ぎ、雲水達は年頭回礼へ、一斉に出掛けた。愈々一年の始まりである。私だけは正月気分を引きづって、ボ~ッ!と一日過ごす。まっ、老齢に免じて・・・。相変わらずポカポカ陽気である。遙か昔、雲水の頃、前日門前のお百姓さん家に行って自転車を借りておき、四日は朝起きたら直ぐにちゃっちゃっと粥をすすり込んで、大般若札を籠に入れて、疾風の如き勢いで坂道をぶっ飛ばした。大般若のお札を配りながら、年頭の挨拶に回るのである。要領よく早く配り終えれば、空いた時間は自由に使えるのである。3日間を二日で回って一日浮かして、最終日は近くの街へ出掛けて映画を見に行った。自分の懐でまかなうのだが、映画を見て大衆食堂でおもっ切り丼飯を食べる。このくらい幸せなことは無かった。今でも当時のことが懐かしく想い出される。それから数十年が過ぎて、私ももう82才になった。若かった頃をふっと思い出し、無性に懐かしくなった。
2024年01月02日
正月三日
今朝も午前9時から大般若会、以降は何も無し、終日のんびり過ごす。年始の客もなし。朝から晴れ上がり、気持ちの良い一日、こんな感じの正月が、何時もの正月である。ゆっくり骨休めってわけ。境内、静まりかえっている。居室の窓から向いの山の鬱蒼とした木々が微かに揺れている。年末大掃除でバタバタ、大忙しだったが、正月三が日は静かに英気を養う。愛猫のタマちゃんも、正月は骨休めで、丸い愛用の布団で丸くなって寝ている。これら全てが例年のごとし。
新年明けまして・・・
お目出度うございます。今年最初のブログです。まっ、別にどうっつ事はありませんが、今年も1年間頑張ってブログを書き続けますので、どうぞ宜しく。元旦は午前3時に起きて、3時半から祝聖、・大福茶礼・祝餅、というような具合で例年の如し。午前9時大般若会が終わって、一息着いた。大垣の矢橋さん父子が年始挨拶に、後は訪れる客は無し、これも例年のごとし。終日のんびり休息。お天気も良し、良いお正月が迎えられた。こうして同じ事の繰り返しの出来ることが何より有り難い。終日ゴロゴロ、ほぼ寝正月。向こう1年間の英気を養う。