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2024年04月25日
遷化の知らせ
かっての知人、遷化の報があった。あ~、あの人も亡くなられたのか~っ!他人事ではない.明日は我が身を実感する。こう言う知らせくらい、淋しいものは無い。誰でもいずれはそうなると解っちゃいるが、いざ目の前に突きつけられると、言葉を失う。一層悔いなく日々を大切に生きようと思った。机の窓越し、向いの山の木立が、風にユラユラ揺れている。ジ~ッと眺めていると、全てを忘れ、ほのぼのとした心地になる。お寺は市街地の近くで、だから日常の買い物などでも便利なところなのだが、総門をくぐると、途端に、山裾に囲まれ、鬱蒼とした山の木々に覆われ、市街地のド真ん中とはても思えないところにある。山家の風情と市街地の便利さ双方を同時に味わえる、絶好の位置にある。先程も茶室に座って向いの山をジ~ッと眺めていた。風にユラユラ木立が揺れて、西日にキラキラ輝いて、緑が一層際立った。シ~ンと、静まりかえっている。
2024年04月22日
下らんブログは書くな!
そのように書いた紙が、目の前の壁に貼り付けてある。にもかかわらず、無視してブログを書き続けている。恥を世間にさらしているのに・・・。止まらないのだ。困ったものだ!恥をさらし、我が身に降りかかってくる屈辱も、一手に引き受けて、澄ました顔でいる訳なのだ。もうこれは殆ど病気なのである。まっ、この病気、風邪のように周りの人にうつして迷惑掛けるっつ訳ではないので、まだ質は悪くないが、しかし困った病気である。人間誰でも老いれば、大体こんなもんだ。そう思ってないと、人間やめたく成っちゃう。自分でこんなこと言っちゃ~お仕舞いだが・・・。息引き取る寸前まで、出来るだけ恥をさらさぬように、更に注意しようと、自ら戒めた。
2024年04月20日
ブログは今後一切・・・
パソコンの左端にメモ用紙が貼り付けてある。「・・ブログは今後一切書かない!」???この紙を貼った時を覚えていないので、いまではどうして・・・?、と思っているのだが、意味不明である。まっ、こう言うのを総じて老化現象というのかも知れない。そして今このメモを無視してブログを書いている。私のドタマは一体どうなっているのだ。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」。自分のやっていることが自分でよく解らないのだ。早い話が、クルクルパ~!誰か側にまともな人が居て、その度に不都合を指摘してくれないかな~!そんな虫のいい話があるわけ無いつ~の。「学ぶは苦学より良きは無く、道は貧道より美しきはなし」、と書いた紙が貼り付けてある。頑張れ!ホナン。
老化、ひしひし感ず
未熟者もはや、82才になる。まだまだ、シャキッ!としていると、自分では思い込んでいるが、実はもうヨレヨレなのだ。雲水たちも、さすがに面と向かっては、「老師!失礼ながら言わせて貰うと、もうヨレヨレですね~っ!」なんぞという奴は一人も居ない。が、実体は、特にドタマは、半壊状態なのである。これは仕方のないことで、これを直して行く方法はない。自然の成り行きに任せるより他に方法はないのだ。哀しいことだがどうにもならない、しかしハイッ!これま~でよ~っ!で死ぬわけにもゆかぬ。我楽多の身を抱えながら、ヨロヨロ生きて行くしか、他に方法はないのだ。哀しいことだが。遙か昔、当時仕えていた老師も80を過ぎた頃から、随分トンチンカンな事を口走ったり、いささか手に余ることがしばしばだった。ふっと、恥をさらす前にこの世にオサラバしたいな~ッ!と思った。まっ、普通はこう思っていても、ブログに書かないものだが、私はバカだから書いてしまう。これが私の良いところでもあり、悪いところでもある。トホッ!ふっと、机の前の壁に目をやると、20年くらい前、友人と岐阜の山奥へスケッチに出掛、描いたヘタッピ~な絵が、恥ずかしくもなく自慢げに、掛けてある。懐かし~な~!、
2024年04月19日
認知症
つらつら思うに、私はどうも認知症のようだ。その典型が、つい先程言ったことも全く忘れて、真逆なことを口走る。これでは周りの人達はとてもじゃないがやってられない。トホッホツ!なのだ。ではそうすりゃ~良いのだ。目の前真っ暗闇!これを一粒飲んだら、ハイ!解決なんて~事もない。絶望の二字が目の前に踊っている。人間やめたく成っちゃう。しかしや止める訳にはいかない。ついこの間まで認知症なんて他人事と思っていたが、あっと気がついたら、自分のことになっていた。ただ漫然としているだけでは何の解決にならない。そこで、早速、相応の手を打って置こうと思案している。
2024年04月10日
ふっと、40年前を想い出し・・
ガタガタ足が震えながら入寺したのが、ついこの間の事のように想い出される。何と、もう40年も経った。あっという間である。月日の経つのは、本当に早い。この調子で、あっと気がついたら御臨終と成る。これは誰でも通る道。そこでまともな判断が出来るうちに、後事をしかるべき人に託して、不都合のないように、予め手を打っておこうと考えている。これは公私双方の事柄についてである。私もそう言う年齢になったのだ。元気なうちから死んだ先のことを具体的に手を打つというのは、何だか嫌な気持ちにも成るが、後々不都合のないようにするのは、大事なことである。これを怠ったために、思わぬ事が続出し、結果生前の故人の徳を損するというようなことが有る。そうならないように今から相応の手を打っておこうと考えている。詳細は差し控えるが、小僧の頃、師匠から、これがスム~すにいかず、結果故人の徳を損するという実例があった事を聞いた。へ~っ!そんな事があるんですか?と他人事のように聞いていたが、愈々自分のことになってきた。まだピンシャンしているときに、こう言うことを決めて行くというのは、確かにあまり積極的にはなれないものであるが、自分でやらなければ他人は誰も代わってやってくれない。で、明日からでも、着々進めて行くことにした。
2024年04月05日
耄碌爺
人間80を越えると、すげ~耄碌爺になる。今の私がそれである。毎日耄碌、耄碌の連呼である。関係ない人は、うるせ~な~この爺!と思うだろうが、本当なのだから仕方が無い.まっ一般的には、そう思っても自分から、あまり言わないものなのだが、馬鹿だからべらべら言っちゃう。てめえが耄碌爺になろうが成るまいが俺の知ったことか!だよね。トホッホッ!丁度40才の誕生日の前日に入寺した。ガタガタ震えながら山門をくぐったのを、ついこの間のことのように覚えている。それがどうだ!あっと言う間に80だ。ボツボツ引退だな~!もう2,3年前からず~とそう思っている。トコロガ、ハイ!後はご心配なく!・・・て~奴は居ない。まっ、一人くらい居るのかも知れないが・・・。成りたくって色気プンプンて~のは、いなくもないが、そんな野郎は問題外の外!と言うようなわけで、日々葛藤なのである。
2024年04月04日
早や4月に入って
年を取ると、月日の過ぎるのが矢鱈早くなる。あれよっと言う間に、早や4月に入った。この調子で行くと、気がついたら御臨終となる。人間の一生なんて瞬きする間である。自分の直ぐ近くの存在だった人も、あっという間にこの世から居なくなった。まるで一夜の夢の中のようだ。そう言っている私自身も、瞬きする間にいなくなる。メシの上端の湯気のよなものだ。繰り返し同じ事を言っているが、本当にそうだ。自分が老いてくると、矢鱈昔のことが甦ってくる。こう成ってきたら、間なしに御臨終である。どうも淋しい話ばっかりで恐縮だが、本当にそうなのだ。今、私の傍らで猫のタマちゃんがスヤスヤ寝ている。可愛がっているタマちゃんの方が、先にあの世に往ってしまうだろうが、後を追いかけてそっちに逝くから待っててね。
老いをひしひし感ずるこの頃
人間誰でも82才にも成れば、あっちこっち綻びが目立つようになる。のっけから自己弁護をするようで、気が引けるが、日々スカタンの連続なのだ。正直、やってられない!遙か昔、雲水の頃、師事していた当時の老師は優に80才を超えられ、日々スカタンの連続、こりゃ~困ったこんだ!と評席仲間で頭を抱えたことがある。さりとて幾ら評席だと言っても、老大師に向かって、「老師!正直申し上げて、頭パ~ッ!です。ボツボツ引退なさってらどうですか!」などと言えるわけがない。困り果てたことがある。何と、それが巡り巡って、今自分に降りかかっているのだ。因果は巡るのである。それなら即、後継者に譲って・・・と言う段取になるのだが、それが居ないのだ。トホッホッ!なのである。故にスカタンの連続でも頑張らざるを得ないのだ。ふっと目を上げて、ガラス越しに向いの山を眺めた。木立がユラユラ微かに揺れている。ジ~ッと飽きずに眺めていると、不思議に心癒やされる。
2024年04月03日
永暫
雲水が一人永暫した。まっ、普通はまた帰ってくるような顔をしてそのまんま戻らず・・・と言うパタ~ンなのだが、今日のは遙々遠方からお師匠さんがやって来て、1年間お世話になりましたというお礼の挨拶に来られた。珍しい例である。まっ、現代的とも言えるが、遙々遠方よりお越し頂いたわけで、申し訳ないな~と言うのが正直なところ。”来る者は拒まず、去る者は追わず”が僧堂の原則、まっ、これも現代的と言えるのかも知れない。ところで、今日の天気はどういうことだ!昼間からまるで薄暗く、しとしと雨も降って、「世界中が陰気」である。心もそれにつられて、暗~い!トホッホッ!まだ日中だというのに、どうだ!この薄暗さ。机の傍らで愛猫の「タマ」ちゃんが専用の寝床で丸くなってスヤスヤ寝息をたてている。見ているだけでも癒やされる。
2024年04月02日
老齢化、スカタン!
このところ、あっちこっちで、スカタンばっかり、本当に情けないやら、ふがいないやら。もう人間やめたく成っちゃった。大切な頂相の賛では1字すっ飛ばしたり・・・、これなんか、取り返しが付かないのだ。とほっほっ!なんて言ってる場合じゃないっつうの!お役目、そろそろ返上したくなった。何でも賞味期限切れはあるのだ。黙って坐ってる時は、普通に見えるが、一寸動き出すと次から次へとスカタンの連続なのだ。
捜し物に追われて・・
あれは何処へ行っちまったんだ??と、部屋中探し回り、思いも掛けぬところからひょいっと出てくることがある。これも老化現象の一つだと思う。大して広くない部屋だから、これでもやってられるが・・・。いずれにしても、我が身の老いをひしひし感じる。まっ、雲水と僧堂修行に専念していれば、自然に寺は回って行く、大変ありがたい僧堂なので、私のようなボンクラでも何とか務まるのだ。丁度40才の誕生日の前日に入寺して、爾来40年経った。体力気力共に、日々衰えて行く我が身を、頑張って支えて居る。振りかえれば、この間どれだけ多くの方々の御厚情に支えられてきたことか、感謝!感謝!である。この御厚情に報いるためにも、更に精進して、僧堂を支えて行く、これが私の使命である。近年はこの思ひを一層、心に深く感じる。
2024年04月01日
静寂
居室の机に座って、窓越しに山の木立がお日さんに照らされてキラキラ輝いているのを飽きずに眺めている。傍らで猫のたまちゃんが専用の布団に丸くなって眠っている。パソコンで日記を書いている。毎日同じこの景色を眺めて、心穏やかに過ごしていることが何より有りがたい、満82才。私は人間嫌いで不精者、偏屈者で変な性格なのである。屹度他の世界だったら鼻持ちならない男で、爪弾きにされるだろう。修行道場という特殊な環境だから何とか務まっているのである。有り難いことだと感謝している。その私もこの所、どうもお医者さんからクレ~ムが出て、近々、精密検査がある。だから今ドキドキしている。悪い病気で無ければ良いが。トホッ!