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2024年08月25日
酷暑つづく
例年のこととは言いながら、何とかならないか!と、思わず天に向かって叫びたくなる。まだうちは周囲を山に囲まれ、鬱蒼とした緑一杯に包まれ、街中とは言え、随分涼しいのだが、それにしてもあっついったらありゃ~しない!こう言うときは逆らって、負けて成るものかなんて、気持ちは断じて起こさない。素直に従って、終日いデレ~ッ!と、時の過ぎるままに身を任せ、ぼ~っ!無為に過ごす。目の前に愛猫タマちゃんが、文字通り超デレ~ッ!と、伸びきっている。タマちゃんに見習って私もデレ~ッ!
2024年08月23日
酷暑のお盆も無事すぎて・・
例年のこととは言いながら、酷暑の折り大汗掻いて棚経も無事終わってほっと一息ついた。今日は休息日で、皆のんびり過ごしている。酷暑のこの時期の恒例なのだが、ヤレヤレである。何もかも例年のごとしで少しも違いは無いのだが、こっちが老化するので、その分、身に応える。満82才。まっ、私はお盆と言っても雲水ほど棚経回りをするわけでは無いので、身に応えるなんて言っては叱られそうだが、まっ、この時期生きてるだけでも、たいてやない。お陰様で大病することも無く、この年まで現役で頑張って居れるだけでも感謝、感謝!お盆も終わって、ほっと一息ついた。 今日は部屋で長々延びきって、休息日である。
2024年08月15日
巡り会い
随分古い話になって恐縮だが、遙か昔、60数年も前の事になるが、お寺とは何んにも関係の無かった私が、突如、お坊さんになると両親に言った。瞬間母は、あんまり勉強しすぎて、この子は頭が可笑しくなったのだ!と思ったそうだ。もう勉強しなくて良いから、これからは毎日何処かへ遊びに行ってらっしゃい!と言った。その後色々あったが、私の思いとおり出家することが出来た。その時から早や60数年の歳月が流れ、フッと当時のことを思い出すことがある。その後道を外れることも無く、今こうして僧堂で若い雲水と共に修行を続けている。遙か昔のことになるが、僧堂修行の後、数年、鎌倉の小庵の住職をしていたことがある。その時、母は大変喜んでくれた。ヤレヤレこれで落ち着き場所が出来て、一安心だ、そう思ったそうだ。数年後、再び寺を変って岐阜へやって来た。折角良いお寺に縁が出来て落ち着いたと思ったら、また何処か知らない寺に代わって行くのかと、大変心配したそうだ。まっ、思えばいろいろあったが、その後ここにも見に来てくれと、安心して帰って行った。遙か昔のことをふっと思い出し、無性に懐かしくなる。当時の母のことをいろいろ思い出し、涙が出るほど懐かしく有りがたく思う。
お盆棚経
連日お盆棚経で、雲水達は大汗掻いて奮闘中、一方私は留守番で、超涼しい格好で過ごさせて貰っている.罰が当りそうだ。それも今日までで、あと少しの辛抱、翌日は骨休み、薬石は私の提供で大盤振る舞い、と言っても僧堂のことだから、タカが知れているが、まっ、暑い中連日ご苦労様、っつわけで、ご馳走を振る舞うのが恒例。しかし何だ!この暑さ!飛ぶ鳥も焼き鳥に成って落ちてくる。全て例年通りと言えばそうなのだが、こっちも年々老齢化してくるから、身の堪え方が違う、82才。しかしものは考えようで、幾つになってもこうして、毎年同じ事を繰りかえすことが出来る有り難さ、年月を経るとなお一層思いが増してくる。
2024年08月13日
フッと昔のことを想い出し・・
人間老齢化してくると、万事後ろ向きになってくる。希望に輝いた未来に向かって・・・、なんぞもうとっくに吹っ飛んでいった。ただ日々目の前のことで手一杯、たちまち夕方になって、あ~!今日も終わったな~っ!、そんな時、フッと遙か昔の小僧時代を思い出すことがある。それは未熟な自分と向き合うことで、良い思い出ばかりでは無いが、無性に懐かしくなる。京都の小寺のたった一人の小僧で、師匠は殆ど何も言われない方だったが、未熟だった私はそれを良いことにしてやりたい放題、今から思うと恥ずかしいたらありゃ~しない。しかしその時師匠がその未熟な私を辛抱強く導いてくれたお陰で今が有ると思って、感謝の気持ちを申し上げたいと思っても、師匠はもうとっくにあの世へ行っちゃった。トホッ!
アッチッチ!
どうだ、この暑さ!朝から茹だっている!うちは市内中心部にあるとわ言え、道路から長い参道が続いて、裏側は鬱蒼とした山に囲まれているので、見た目は涼しげだが、現実はさにあらず、冒頭の言葉通り、グラグラ茹で上げられている鍋の中のゆで卵のようである。部屋では終日パンツ1枚生活、とてもじゃないがやってられない。フッと京都で小僧をしていた頃を想い出した。ご存じの通り京都も暑いところとしてはつとに有名だが、師匠は、ほぼ終日パンツ1枚生活、裸同然で過ごしていた。玄関に客が来ると浴衣を羽織って対応していた。まっ、あんまり良いとは言えないが、そうでもしていないと、とてもじゃないがやってられない。ぐるり年月は巡って、今、私が当時の師匠と同じ事をしているわけだ。トホッ!お寺は周囲を鬱蒼とした木々に覆われ、見た目は涼しげだが、現実はさにあらず、暑いったらありゃ~しない!
2024年08月12日
38℃!
岐阜の暑さはつとに有名だが、本日ついに体温を越えた。暑いなんて~もんじゃない!飛ぶ鳥も焼き鳥になって落ちてくる!私も岐阜に来て早や40年になるので、酷暑には大分免疫が出来て、これくらいはどうっつ事もなくなったが、来た当初は猛烈暑さに負けて寝込んだものだ。今じゃこれくらいは屁でも無い。冷房ガンガン効かして、涼しく過ごしている。明日からお盆の棚経が始まるが、ご苦労様である。雲水達は死にもの狂いである。更に葬儀も入った。盆と正月が一辺に来たようなあり様だ。
2024年08月05日
色即是空
色とは形のあるもののこと、つまり形のあるものは、実は形はないのだと言うこと。一見矛楯しているように思えるが、ものの本質を見極めて行くとこれが真実だと解る。この真実に目覚めない多くの人々は幻を追いかけ振り舞わされて、一生を台無しにする。何と哀れなことか!形の中に形を越えた真実を見極めて行く目を養わなければならない。その為には今、依って立っている処が、そもそも夢・幻なのだと悟らなければならないのだ。まっ、言葉で言うとこうなるわけだが、この言葉を越えた境地を養い、その境地で世の中の全てをみて行くこと、これが最も大切なところである。
36,5℃
尋常ではないこの暑さ!ほぼ体温に近い。終日上半身裸、部屋に籠もって、ジ~ッとしていた。向いの山の木々はソヨとも動かず、強烈な太陽がジリジリ照らし、ガラス越しに眺めていても、暑さが伝わってくる。今年一番お暑さだ。まっ、岐阜市内は例年こんなものだが、こう言うときは何もせずバカみたいになってジ~ッとして居るのが良い。大体思考力もほぼ無。お寺は周囲を鬱蒼とした山に囲まれ、街中よりは余程良いのだが、これなのである。良いことは部屋が広いと言う事もあるのかも知れないが、冷房ガンガンでなくとも、過ごせる。時折吹く風に山の木々がユラユラ揺れている。こう言うのを眺めているだけでも涼しい気分になる。
2024年08月03日
連日、あっち~!
言うまいと思えど、今日の暑さかな。毎年のこととは言いながら、どうだこの暑さ!もうヘロヘロ。まっ、何処も暑いだろうが、岐阜は海無し県で、内陸だから、余計暑い。うちは周囲を山に囲まれ、見た目は涼しげだが、うだっている。幾ら愚痴っても、涼しくなるわけじゃ無いから、言うだけ野暮だが、そう思いながら言いたくなる、トホッ!遙か昔京都で小僧をしていた頃、当時の師匠は、京都市内の猛烈暑さに耐えきれず、毎日上半身裸で過ごしていた.当時寺内に何人か大学生が下宿していたが、女子学生もいて、その前でも平気で裸で過ごしていた。今から思うと、平気を装って、強いてそう言う格好で過ごしていたのには何かしら意図を感じるが、あんまり品のいい話じゃないので、この辺で止める。愛猫「タマ」もうヘロヘロ、我慢の限界だ~ッ!と言ってるみたい。
あっち~!
たらありゃ~しない。上半身裸、岐阜の酷暑との戦いが始まった。ここへ来て早や42年になる。何年経っても、この猛烈酷暑には、ホトホト参る。暑さ慣れっつうのはない。死ぬまでこの繰り返しなのだ。トホッ。日本国中アッチッチッ!だが、何だか岐阜は特に酷い感じがする。その暑さを更に倍加するように蝉がガヤガヤ鳴いている。うちは岐阜市内ほぼ中心部にあるが、道路から長い参道一番奥にあって、周囲は山に囲まれ、見た目は涼しげなのだが・・・。幾ら愚痴っても、涼しくなるわけでも無し、黙って耐えるより他は無い 。今、雲水が畑で、収穫できましたと言って、ナスを抱えて見せに来た。オ~ッ!立派だ!美味そ~っ!