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2024年10月29日

開講

いつもなら入制前のこの時期に「開講」を設けるのだが、人少により省略。トホッ!残念だが仕方なし。で、終日、他の仕事で大忙しって~ところ。外はどんより曇り空、前の山の木立はそよととせず、境内静まりかえっている。全員死に絶えたけ~っ!今年も早や10月も終わりかけである。何だか知らないがフッと四十年前、この寺に初めてやって来た頃のことを想い出した。あれよあれよという間に40年が過ぎた。その間一体何をしてきたのかな~と振りかえるのだが、な~にも想い出せない。過ぎ去った年月など跡形も残らない。そうこうしているうちにお迎えが来て、ハイ!さよ~な~ら~!てな事になるわけだ。トホッ!

投稿者 zuiryo : 10:15 | コメント (0)

2024年10月28日

タマちゃん、仰向けに昼寝・・

午後の弱い日差しの窓際で、タマちゃんが仰向け大の字にひっくり返って昼寝中、その幸せそうな顔を見ていると,こっちも幸せになる。向いの山の木立が微かに揺れている。こう言う一時が私は一番好きだ。これも我が身の老いと重なるところがあるのかも知れない。保健所のホ~ムペ~ジでオシッコポタポタで、画面ではオシメを着けていた。それが禍して、貰い手が無く、画面から消えなかったので、可哀想だな~っ!と思って貰ってきた。その後、手術ですっかり治って、今お寺で超しあわせに暮らしている。この姿をタマちゃんのお母さんが見たら、どんなに喜ぶだろうな~と思い、こっちも幸せな気持ちになる。

投稿者 zuiryo : 15:05 | コメント (0)

更新方法も解らなくなり・・・

トホッ!偏にこれ老化である。まっ重要なことでこんな事ではお話にならないが、極めて個人的なブログのことだから、これで良しである。ついこのあいだ7日、満82才になった。だからどうだってんだよ~っ!別に~っ!なのだが、あ~!わしも老いたな~!と改めて実感。特に身の回りにそう言う老化を厳しく指摘する人もいないので、暢気に老化しているわけだ。机の前のガラス越しに向いの山の、鬱蒼とした緑が微かに揺れている。ジ~ッと飽きずに眺めていると、自然に心癒やされる。

投稿者 zuiryo : 14:34 | コメント (0)

2024年10月24日

ドタマ,クルクルパ~ッ!

まっ、老齢化っつう事もあるのかも知れないが、近頃私のドタマはクルクルパ~ッ!我ながらやんなっちゃう!御年82才。さりとてこれってどうしようも無い!♫川の流れに身を任せ~!だ。一人っきり、ゆえに、ドンドン悪化傾向なのだ。♫どうにも止められな~い!のである。まっ、これが世間の第一線で活躍なんつう場合は困ったことになった,となるのだろうが、僧堂ではそう言う心配はない。尤も近親者でも居ればビシビシその度に指摘され,オット!こりゃ~いけね~!となるのだろうが,生憎さらさら無い。で、何とか日々務まってるっうわけ。まっ、大らかに考えれば,年相応。そろそろ後進に道を譲って,と言う話になるわけだが、近年この職業とんと人気が無いのだ。で、今の私のようなパ~でも何とかやって行かなければならないのだ。どうも景気の悪い話ばかりで,こっちの気持も滅入るのでこの辺で止めておく。

投稿者 zuiryo : 11:02 | コメント (0)

2024年10月23日

久し振りの更新

日々老化と奮闘中の昨今、ブログの方まで気が回らず、久し振りの更新となった。と言っても何か新たな事があるわけでも無し、故に筆も進まぬ。そんな時、フッと遙か昔、京都で小僧をしていた頃を思い出した。当時お世話になった師匠もとっくに亡くなり、当時下宿していた学生達とも殆ど音信不通、現在の住職も全く知らない人なので、ちょっと寄って話をする事もなく、縁も途切れてしまった。少々淋しい気もするが,世の中総じてこんなものである。なのにどうして急に、ふと小僧寺のことが頭に浮かんだのだろうか?単純に懐かしく思ったのかも知れないが、これも偏に私自身の老化なのだろうと思う。どなたでも老いると遙か昔のことが心に甦ると言うが,今の私が丁度そう言う時期なのかも知れない。私の小僧生活は未熟の一言で、今から思うと恥ずかしさで一杯だが、何事も過ぎ去ってしまえば良いことばかり想い出されて,無性に懐かしくなる。たまにはちょっと寄って、昔を偲びたいな~などと、思うこともあるが、誰一人知らない人ばかりになってしまった所へ、ひょっこり顔を出しても迷惑掛けるだけだから、結果辞めておこうと成ってしまう。総じて世の中皆こんなもんだ。

投稿者 zuiryo : 14:44 | コメント (0)

2024年10月20日

ブログの更新方法が解らなくなった、トホッ!

まっ、ひとくちに老化現象なのだが、僧堂の一番奥で、独居老人的日々のなせる故なり。殆ど終日会話無し。唯一愛猫タマちゃんと、お喋りをする。一応聞いてくれているが、返事は無しってな具合。まっものは考えようで、これくらい幸せなことは無い。これで何もしないと愈々バカ街道まっしぐらってなことに成るので、せめてブログでも書いて頭を使おうと思っている。私の仕えた師匠はお二人とも常に回りに人がいないと、いたたまれないっつう方だった。同じ師家になって初めて解ったことだが、他にすることは無いのかよ~っ!まっ、他人様のことはどうでも良いんで、認知症にならないように、回りに迷惑掛け無いようにしよう。机の前、ガラス越しに向いの山が見える。木々が風にユラユラ揺れている。西日が当ってキラキラ輝いている。ジ~ッと何時までもそれを眺めている。

投稿者 zuiryo : 14:18 | コメント (0)

2024年10月17日

連日ノ~ビリ

制間っつ事もあるが、連日ほぼ無為。机に座ってボ~ッと向いの山を眺めている。まっ僧堂にもよるが、うちの場合は来客殆ど無し、行事も無し、何も無し。無し無しづくしだから、こうなるわけだ。嘗て僧堂在錫中、当時の老師はやたら外出が好きで、まるでサラリ~マンが会社に出掛けるが如く、日々外出していた。そんなに何処へ行くのか知らないが、何時も奇妙に感じていた。今から思えがあれは何か必要な用事があって出掛けていたのでは無く、出掛けたいから出掛けていたのだ。師家もいろいろで、私などにはそう言う心境はまったく分からない。周囲をすっぽり山に囲まれ、物音ひとつしない、静寂の中にじっとしていると、何とも幸せな気持ちになる。此処からどうして雑踏の中に行かなければならないのか?理解不能、摩訶不思議。だから終日ジ~ッと部屋に引きこもっている.こんな幸せことは無い。

投稿者 zuiryo : 10:53 | コメント (0)

2024年10月12日

本来は正眼開山忌

昨年より正眼寺と相談し、双方の開山忌、遣り取りを止めにする。今までなら今日は正眼寺に出掛ける日なのだが、何も無し.スッキリした。終日北隠寮畳廊下でドテ~ッ!英気を養う.まっ良く言えばだが。うちの場合はこんなふうに伸びきって過ごしても、お寺がスム~スに廻って行く行く。有り難いことである。早く言えば怠慢の一語なのだが。言い訳ばかりで聞き苦しい話で恐縮。まっ根本は私の老化だ。人間誰でも80才過ぎれば凡そこんなもんだぜ。まだ現役で頑張っているだけ良しだ。こう言って一人で満足している.唯我独尊。

投稿者 zuiryo : 16:24 | コメント (0)

2024年10月09日

一昨日、満82才

出家したのが18才だったから、64年になる。その間色々あったが、志を曲げずに今に到っている。こうして勿体なくも専門道場の師家にして頂いて、82才の今日まで、何とかやって来られたのは、偏に母の支えがあったからだ。感謝しても仕切れない。もうとっくに死んでしまったが、今尚私の背中を押して、支え続けていて呉れる。有り難い、本当に有り難い。長らく禅の修行を続けてきたが、そこから学んだことの一つは、母への感謝である。修行中幾度となく崖淵に佇んだとき、必死に成って私の背中を支え続けてくれたのはいつも母だった。長い修行で知ったのはこれだけだ。それは今尚支え続けていて呉れる。有難い、有り難い、本当に有り難い。

投稿者 zuiryo : 11:04 | コメント (0)

2024年10月02日

あっという間に10月

暑いな~と思っているうちに、早10月、朝晩は大分凌ぎやすくなった。7日が私の82才の誕生日である。此処に住職したのが、40才だったから、間もなく在錫42年になる。その間大禍なくやって来られたのはひとえに神仏のご加護による。有り難いことである。感謝感謝。何時までも老いの恥をさらすのも終わりにしたい。師家も交代だな~と思うのだが、このお役目、イマイチ人気がないのだ。困ったこんだと思いながら過ぎて行く。一般的には禅僧としてこのお役目を果たすことが出来るのは誠に尊いことで、我が家一大の誉れなのだが・・・。必ずしもそうは成らないのが現状。ガタガタ言っても始まらないので、棺桶片足突っ込むまでヤッたるで~!

投稿者 zuiryo : 15:46 | コメント (0)