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2024年11月29日
何時も傍らにタマちゃん
机の右側の棚に何時もたまちゃんが居る。体がすっぽりはまるサイズに作って貰った寝床が置いてある。タマチャンは此処が大好きで、私が机に向かうと必ずすっぽりはまって寝ている。ガラス越しに向いの本堂が見える。シ~ンと静まりかえった境内で,何時もタマちゃんと二人きりでこうして過ごしている。この一時が私は一番好きだ。
フッと、昔を想い出し・・
まっ閑と老化っつうことも有るのだろうが、ふっと、遙か昔のことを想い出す。一口に言うと、若気の居たりで、恥ずかしいことばかりだが、その折々に周囲に支えられ,何とか凌いできて、今がある。有り難いの一言である。82才、耄碌爺寸前、いや既に真っ只中である。屹度周囲は相当困っていると思うが、私は涼しい顔して日々快適に過ごして居るっつうわけだ。こう言うのも順送りで、その時々、誰かが被害者になる。まっ、お陰様で,大きな失敗も無く、何とかやっている。感謝感謝、もう言うことは何も無いのだが・・・。人間欲はきりがない。トホッ!もう一寸この辺が・・・何んつう事がしばしば頭をよぎる。
2024年11月27日
早や霜月も・・・
机の上に大きなカレンダ~が置いてある。日々の日程が気されている。その日が過ぎると筆でバッテン印を付ける。今月も残り四日になった。月日は百代の家客・・・。フッと昔を振り返る。丁度40才の誕生、前日にこの寺にやって来た。それからあっという間に、40年が過ぎて、80才になった。まだまだ自分では元気なつもりだが、正直、日々老化、ぶっちゃけ「トロク」成ってしまった。トホッ!なんて暢気に言ってる場合じゃナイッツ~の。そろそろお祓い箱なのだが、代わりが居ないからズルズルベッタリ、留まって居る。誰か代わってくれ~ッ!断末魔の叫び!
2024年11月24日
終日無為
日々忙しく働いて居られる方々には叱られそうな気がするが、現在の私の日常は一言で言えば「無為」である。この無為、一件淋しい感じに見られるが、実際はそうではなく,実に充実した日々なのである。何もしないことに全力を挙げているのだ。ものは言いようだな~!と言われそうだが、これは実際にそうしてみた者で無ければ解らない。ただボ~ッと無為に過ごしているのとは違う。頭の中はフル回転しているのである。こう言う生活を相当長年やって来た。老いて益々充実した日々を送っている。
終日無為
ま。っ、こう言うことは普通書かないものだが,私はバカだから書いちゃう。僧堂によって、また師家によっても違うのだろうが、私は根本的に人嫌い、孤独大好き人間なのだ。居室の窓から向いの山の木々がユラユラ揺れている。終日飽きずに眺めている。こう言う日々の繰り返しでも、何の不都合も無く廻ってゆく。有り難い。あまりそれに寄りかかっているのも宜しくないが、まっ、根が人嫌いなのだ。私の仕えた師匠はお二人とも、常に傍らに人が居ないといたたまれないつ~感じだった。不思議な人だな~と思っていた。まっ、人様々と言う事である。今、居室の傍らで、愛猫たまちゃんがノ~ビリ横になっている。こう言うときが一番好きだ。
2024年11月22日
終日ノ~ビリ
どうもこういうこと書くのははななだ不都合なことだと思うのだが、私はバカだからつい書いちゃう。まっ、良いじゃないの。机の窓越し、向いの山の鬱蒼とした木々はピタッと止まっている。まだ午後二時過ぎだというのにドン曇り。夕方のよう。他にすることね~のかよ~!と非難されそうな気がするが,何も無いのだ。トホッ!傍らに愛猫タマちゃんがスヤスヤ寝息をたてている。私はこう言う一時が好きだ。人によると,じっとしていられないという方が居る。私仁はそう言う人の神経はまるで理解できない。こんな幸せな一時は無いではないか。机の前の窓越しに鬱蒼と茂る山を眺め続けている。
2024年11月20日
無為の幸せ
雲水修行時代のことだが、矢鱈人恋しがる方が居た。常に側に人が居ないと、いたたまれない様だった。これを傍から見ていて、実に不思議に感じていた。ほかにすことね~のかよ~!きっと無いのだろう。はた迷惑ったらありゃ~しないのだ。逃げ出したいところだが立場が上の人だったから、逃れようが無いのだ。お陰様で早く死んでくれたので良かった。こんな事を言うと、随分酷いことを言うと叱られそうだが、実際そうだったのだ。屹度仏さんがバチあてたのだと、今でもそう思っている。私は今年80才になるのだが、一人机に向かっているときが一番好きだ。窓越しに向いの山の鬱蒼とした木々を飽きずに眺めている。
何時も傍らにタマちゃん
机の右、窓際は幅二尺ほどの棚になっていて、そこへいろいろなものを置く。そこへ、愛猫タマちゃん用に丸い寝床を置いて、いつでもゴロンと寝られるようにしている。タマちゃんは此処が大のお気に入りで、閑さえ有れば此処へ来て、丸くなっている。その姿がいかにも幸せそうで、傍から見ていてこっちも幸せになる。もう数年前になるが、保健所のホ~ムペ~ジに、いつまで経っても貰い手が無い一匹の猫が居た。オシッコポタポタが禍してである。雲水の一人がこの画面を見て,この猫ちゃんうちで貰ってあげたらどうでしょうかと言ってきた。ウン良いんじゃない!直ぐに灰色に黒いシマ模様の小さな猫ちゃんがやって来た。「タマ」ちゃんという名前にした。ご存じサザエさんちの猫の名前を拝借したのである。オシッコポタポタは動物病院で手術して直ぐに治った。それからもう数年が経った。今も傍らのふかふかの寝床で丸くなって幸せそうに寝入っている。ほぼほぼ幸せなのだが一つ問題はタマちゃんにはお友達がいないことである。僧堂は広い境内地で塀に囲まれ他所の猫が遊びにやって来ることなどほぼ無い。故に孤独なのだ。何時も私の部屋の傍ら、窓際の丸いふかふかの寝床でお日さんを浴びながらすやすや寝ている。その超幸せそうな姿を眺めて、こっちも同時に幸せになる。
2024年11月13日
自然に消えた
ブログを途中まで書いていたら突然消えた。な~るど!と気がついた。あまりにもくだらない文章だったから、仏さんが消したのだ。もうこの先書けなくなった。当然である!これ一重に仏さまのお示しである。と言いながらも、なお無駄な抵抗を試みて、書こうとするバカ!付ける薬は無い!トホッ!居室の机窓越し、向いの山を飽きずに眺めている。微かに揺れている。強い日差しを受けてキラキラ輝いている。毎日この眺めを飽きずに見続けている、バカ!トホッ!
孤独の幸せ
お忙しく日々働いて居られる方がこんな話を聞いたら、横っ面張り倒されそうだが、雲水は別にして、私は終日無為なのだ。これが私にとっては何より幸せなことである。人によると孤独は堪らんと言う人が居るようだが、ああいう人の気持ちは、私には全く分からない。矢鱈人を呼んでは、何を喋るのか知らないが・・・、孤独くらい幸せなことは無いではないか。居室の机の向いは山である。鬱蒼とした森の木々が微かに揺れている。日に照らされて葉がキラキラ輝いている。何の変哲も無いこの景色が、私は一番好きだ。ジ~ッと飽きずに眺めている。
2024年11月11日
この所、ノ~ビリ
お忙しく日々お過ごしの方が居たら、横っ面張り倒されそうだが、僧堂という特殊な環境なので、お許し頂きたい。居室の机の窓越しに向いの山が見える。鬱蒼とした森がソヨともせず、静まりかえっている。毎日ジ~ッと眺めている。他にすることね~のかよ~!と言われそうだが、無いのだ。トホッ!この一時が私は一番好きだ。仲間内では、ひっきりなしに知人友人がやって来て、隠侍はお茶出しに天手古舞い、なんつ~話を聞いたことがあるが、そういう所とはまるで別世界である。静まりかえっている。私にはピッタリなのである。だから何時も快適で、清々しい気持ちで過ごしている。幸せこの上ない。バチが当りそうだ。
2024年11月10日
終日無為
どうもブログにこう言うのは止めときゃ良いのだが、私はバカだから、つい書いちゃう。遙か昔、カビの生えたような話だが、矢鱈人恋しがる方が居た。生い立ちにいささか問題があったような気がするが、用もないのに側にピッタリくっついて離れないのだ。他にすることね~のかよ~!と思ったが、屹度ないのだろう。だったらチッとは勉強でもしたらどうだ!目下の者なら直ぐにそう言うところだが、目上でしかもそれなりの肩書きのある人だから、滅多のことは言えない。ただジ~ッとくだらない話を延々と聞かされ耐え忍ぶしか無い。その後、お陰様で早死にしてくれたのでほっとした。屹度仏さんがバチ当てたんだろう。こんな事は言わない方が本当は良いのだろうが、一辺ぐらいは言わせて貰う。
2024年11月09日
この所、専らノ~ビリ
まっ、時期にもよるが、この所終日無為、ノ~ビリ快適に過ごしている。で、ブログに書く事柄も無し、頭の体操と思って無理矢理書いている。故に面白くも何ともない!机の下、足下でタマちゃんがごろんと寝ている……こんなところでわざわざ寝なくとも良いのにと思うのだが、私の近くに居たいのだろう。故に少々邪魔だが辛抱する。何だか知らないが、フッと以前アフリカへ旅行したことを思い出した。ライオンが直ぐ目の前でごろんと横たわっている。まるで巨大な猫のようだ。近年は仲間も一様に老人になってしまい、何時間も飛行機に乗って、ヘロヘロになって・・・、なんていう旅行はもう真っ平だ。ああいうのも元気な一時、頑張って行って置かないと、もう永久に行けなくなる。当時誘って頂いた方々に感謝感謝である。
日々、ノ~ビリ!
忙しく働いて居られる方々には本当に申し訳ないと思うのだが、こう言うのってお寺によってまちまちで、うちの場合はノ~ビリ!って訳なのだ。もうこれが当り前になっているから、特別な事とは思わない。じゃ~ノ~ビリが良いのかと言えば、必ずしもそうではないのだが。窓越し向いの山の木々が微かに揺れている……強い日差しにキラキラ輝いている。何時までもジ~ッと眺めている。不思議に心嫌される。こうしていても、お寺の経済は何の支障も無くスム~ズに廻って行く……本当に有り難いことだ。だから何時も感謝を忘れない。
これっと言って書くことも無いのだが・・・
でも、こうして無理無理に書いている。止めときゃ!と思うのだが、偏にぼけ防止なのである。フッと窓越しに向いの山を眺めている……微かに木々が揺れている。さんさんと降り注ぐ日差しに、キラキラ輝いている。何の変哲も無いいつもの見慣れた景色だが、不思議に心癒やされる。傍らで猫のたまちゃんがスヤスヤ寝息をたてている。
2024年11月04日
ブログ更新法、解らなくなる
ブログの更新って、どうしたっけ!自身の老化も有ると思うが、一瞬ガックリきた。直ぐ気を取り直して、こうしてブログを見事に更新したっつわけだ、満82才。誰でも老いればこうなる。しかし漫然と手をこまねいているだけではなく、積極的に相い戦って、日々勝ち続けている。エッヘン!まっ、こんなことを書いていささか満足げなのが、そもそも老化現象なのだ。トホッ!可愛いもんだ!机の前のガラス越しに鬱蒼と茂る山を眺めている。ソヨとも揺れず、まるで固まった緑。境内静まりかえっている。机の右隅に、毛糸のセ~タ~に赤いマフラ~を首に巻いた熊の縫いぐるみが置いてある。以前どなたからか頂いたものだ。時たま手ぬぐいでゴシゴシ拭いてやっている。
どうでも良いような・・・
未熟者のブログ、我ながらやんなっちゃう!止めといたら・・・、と思うのだが、これが不思議で、無性に書きたくなるのだ……殆ど病気だと思っている。故に無視して頂きたい。まっ、そんなこと今更言われんでも、とっくにそうしてますよ!と言われそうだが・・・。傍らの窓際で、愛猫「タマ」ちゃんが、気持ちよさそうにスヤスヤ寝息をたてている。その超、幸せそうな姿を見ながら、私も幸せな気持ちになる。ず~とこうしてタマちゃんと二人きりで生活している……普通なら隣近所に、仲良しの友達ネコチャンがいて、毎日遊びに行ったり来たりするのだろうが、生憎、山内それぞれガッチリ塀で囲まれ、更にどいうわけか、どこも猫は飼っていない。故に超孤独なのである。可哀想~っ!なので、出来るだけ相手をしてやっている。故に終日私の傍らにベッタリなのだ。それなら夜は本業のねずみ取りに精出してくれれば良いのだが、また夜は別口らしく丸くなって寝る。まるで”ねむり猫”なのである。
2024年11月03日
日々、老いと格闘中
どうも近頃は景気の悪い話ばかりで、未塾者のブログを読んで下さる方々には本当に申し訳ないと思っている。少しは良い話題は無いかしらと思うのだが、無いのだ。トホッ!さりとて嘘八百を並べるわけにもいかない。じゃ~結局何も書かなければ良いじゃん。となるわけだが、これって一種の病気みたいなもので、無性に書きたくなるのだ……困ったもんだ!まっ、偏に私の耄碌街道駄々走り防止の為なのである。故にさっと目を通して直ぐ忘れて頂くことをお願いしたい。満82才のヨレヨレ爺より。
2024年11月02日
久し振に投稿
ブログも暫くお休みで、今日は久し振り。外はしとしと雨が降り続き、傍らで愛猫「タマちゃん」はスヤスヤ丸くなっている。まだ午後二時過ぎだというのに薄暗く、陰気そのもの、気が滅入る。私自身の老いもあるのだろうが、このブログも、頭の体操のつもりで書いている。何もしなければ益々老いが進だけなので。しょうが無いようなブログを書いている。だから他人様に読んで欲しいなどとは夢にも思わない。偏に私自身のためなのだ。この寺にやって来て早や40年、唖然としている。老いをひしひし感じる。しかしこれは止めようが無い。♫時の流れに身を任せ~!である。