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2025年02月27日
私の杖言葉
遙か昔、私が18歳で出家したとき、在学中折りに触れて眼を掛けて下さった先生に、「私は出家して、岐阜の山奥の道場に行きます。」と告げた。その時先生は、言下に「結局、清田は湘南に負けたんだな~」と言われた。グサッと胸に刺さった。その後、数十年、道場での私の修行を背中から支えてくれた「私の杖言葉」になった。今でも恩師のこの言葉は私の中で生きている。当時出家するというと、「ま~!凄いことを考えられたものですね~!」と、口先だけの褒め言葉が多かった中で、先生のこの一言は、その後の逆境を背中から支えてくれた。これを私流に「杖言葉」とよんでいる。人間は弱い者で、何時も挫けそうになったら、横っ面を張り倒してくれる、杖言葉がいるのだ。恩師の心からほとばしり出た真実の言葉はその後数十年にわたる苦難の修行を何時も背中から支え続けてくれた、何より尊い杖言葉になった。
2025年02月26日
タマちゃんは炬燵の中
タマちゃんが居ない!タマちゃんが居ない!と騒ぎ立てたら、「タマちゃんは炬燵の中です!」と、冷ややかなお言葉。覗くとその通り丸くなっていた。トホッ!老醜の二文字が目の前に躍った。まっ、暢気!っちゃあ、返す言葉も無い始末だが、概ね私の日々はこんなもの。尋ねて来る人も無し、することも無し、何も無し、そこで雲水と一緒に托鉢に出かけられるという老師が居られたが、これも良いことだと思い、真似しようと鼻息荒く待ち構えていたら、「止めておいて下さい!」と言う、これまた冷ややかなお言葉、トホッ!あえなく断念となった。それじゃ~裏山歩き!ってえことでもやるか!と、鼻息荒く言うと、止めておかれた方が良いと思いますよ!と優しい言葉で厳しく指摘。と言うことで仕方なく今、部屋でジ~ッと机に向かっている。
2025年02月24日
この頃、虎屋でわらび餅
日程表の隅っこに、表題のような字が書いてある。そうだ、わらび餅だ。と言うわけで、早速雲水に命じて門前のお菓子屋さんへ買いに走らせた。これは毎年恒例の行事なのである。処が内線で命じるやいなや、もう済みました。老師も美味しいな~!と言いながら食べられましたよ!だと。ガ~ン!認知症の三文字が目の前に躍った。言われてみれば確かにそうだ。食べた!食べた!想い出した。トホッ!まっ、年相応!気にしない気にしない。ついこの間も、「タマちゃんが居ない!居ない!」と騒ぎまくったら、「コタツの中を覗いて下さい!」だと。見たら居た。万事これだ!トホッ!「老醜」の二文字が目の前に踊った。この時、側に置いていたスマホがピポッピポッ!と鳴った。すわ一大事と直ぐ開けてみたら、「~名神雪で渋滞!だと。」トホッ!瞬間携帯を投げ飛ばしてやりたくなったが、止めた。
2025年02月22日
ユル褌の日々
2月制間になって「ユル褌」の日々を過ごしている。制中の緊張感もすっかり緩んで、まっ、それはそれで心地良いものだが、緩みっぱなしも良くない。と言うことで、制間半月を過ぎたところで、一寸シャキットしようと思い始めた。と言っても制間に変わりは無く、一端緩んだものを元に戻すのも楽じゃない。てな具合で気持ちだけでもシャキッとしようと思うこの頃である。居室の窓から向いの山の木立が風にユラユラ揺れている。陽に照らされてキラキラ輝いている。ジ~ッと飽きずに眺めている。
残雪、少し・・・
昨日からの残雪がお日さんに照らされて、キラキラ輝いている。向いの山の木々がユラユラ揺れている。境内は静まりかえって、何も無し。わたしはこう言うときが一番好きだ。無為を楽しんでいる。他人のことを言うのはあまり良いこっちゃないが、雲水の頃、先輩で矢鱈人恋しがる方が居た。まっ、たまに集まって気の置けないざっくばらんな話も良いものだが、問題はざっくばらんの話の中味である。一口に言って、脳味噌が吸い取られる気がした。安っぽい下世話な話ばかりだと言う事である。修行の香りひとつしなかった。口あいてはらわた見せるアケビかなである。まっ、自分が人からそう言われないように気を付けよう。
朝から雪
あれよあれよという間に積雪10センチになって、屋根も地面も山も真っ白になった。窓越しにこの景色を眺めている分には、良い眺めだな~で済むが、後始末のことを考えると、重たい気分になる。そっとしておけば木の葉もさほど散らずに掃除も楽なのだが、一端雪に降られると、一斉に葉っぱが落ちて、雪の重さに耐えかねた小枝なども混ざり、後始末に往生するからだ。まっ、今はそんな事は一切考えないことにして、真っ白になった庭を眺めて、美しい景色を楽しんでいる。この地方では平均毎年1,2回、積雪10センチほどの雪が積もる。どうか雪は降りませんようにと言う願いも儚く消えて、辺り一面真っ白になった。私の心は真っ黒。
2025年02月21日
♫今日も~暇だった~
2月制間に入ってから特に連日暇になった。大変結構なことで、その超~暇を、私なりに有効活用している。「心の耕し」である。机の前の窓越しに、向いの山の木立がユ~ラユ~ラ揺れている。ジ~ッと飽きずに眺め続けている。心豊かに・・・。こんな幸せなことは無い。私の仕えた師匠は矢鱈、人の側に居たいと言う風だった。これが何とも不思議に感じた。あれから40年以上も時を経て、今改めてその頃のことを思い返すと、矢張全く理解できない。人はそれぞれ過去を背負って、今を生きているのだと言う事なのかも知れない。
歯医者さんへ
毎月,定期的に歯医者さんへ通っている。特別虫歯があるわけでも無し、至って健全な歯なのだが,必ず月1回は見て貰う。お陰で今年は満83歳になるのだが、全ての歯はバッチリ、沢庵もバリバリいける。ドタマの方は少々衰えてきたが、歯は至って健康なのである。これも全て友人のお陰である。何事も良いご縁に恵まれることが一番。今傍らに愛猫タマちゃんがいる。私が外出から帰ると直ぐ傍らの専用寝床にやって来て丸くなる。私の良き相棒なのである。机の前の窓越しに、向いの山の鬱蒼とした木立が見える。風にユラユラ揺れて、陽を浴びてrキラキラ輝いている。毎日見慣れた景色だが、不思議に心癒やされる。
2025年02月19日
毎日ゆったりコン
2月制間になって、毎日ゆったりコンと過ごしている。終日机の前の窓越しに、向いの山の木立がユラユラ揺れてお日さんにキラキラ輝いている。それを飽きずに眺めている。私はこう言うときが無性に好きだ。人と相対するときが一番疲れる。少し長くなるともうヘトヘト。孤独大好き人間なのだ。そう言う私に最も相応しいお寺に住むことが出来て、こんな有り難いことは無い。感謝感謝。
終日ノ~ビリ
このところ、このパタ~ンが多い。個人的にはこう言うのが好きだ。人によると常に周りに人が居ないといたたまれないというタイプがある。私には全く理解できない。育ち方にいささか問題ありと思うのだが、お気の毒だな~と思ったことがあった。誰にも煩わされずに、いま私は、その孤独を噛み締めながら、喜々として日々過ごしている。周囲を山に囲まれ、物音ひとしない。何と心地よいことか。向いの山の木立が風にユラユラ揺れている。厭かずにジ~ッと眺めている。話はいきなり飛ぶが、十八歳の時いきなり出家すると宣言した。両親始め兄弟全員、勉強しすぎて頭が可笑しくなったと思ったそうだ。当時は殆ど理解されないまま、その後、数十年お坊さんを続けることが出来た。屹度父と母が後から私を懸命に支えてくれたのだと思っている。
ワラビ餅
この時期はワラビ餅のシ~ズンである。早速、門前の菓子屋に行って購入だ!と思い、直ぐ買いに走らせようと指示すると、もう済みました!だと。トホッホッ。ちゃんともう食べていたのだ。認知症!の文字が目の前に躍った。近頃は万事これだ!満83才。こんなふうでも何とか日常送っている。これひとえに古参の雲水のお陰である。普通ならとてもやってられない!となるのだが、じっと辛抱して仕えてくれている。有り難い。
2025年02月17日
一瞬にして全て消えた
コツコツブログを書いていたら、突然全て消えてしまった。唖然!頭にきて、もうヤメだ~!と一端さじを投げたが、まっ、待て!と思いとどまり、こうして新たに書き直してる。ところで2月制間になって、「ユルフン(褌)」、一寸品性欠ける表現で御免なさい。制間になって緊張が解けて、ゆったりと日々過ごしている。机の前の窓越しに向いの山の鬱蒼と茂る木立が微かに揺れている。ジ~ッと飽きずに眺めている。不思議に癒やされる。私はこう言う一時が大好きだ。無音、静寂、実に良いもんだ!
2025年02月15日
ゆったり制間
2月制間になって、日々ゆったり。誠に快適な日々を送っている。人によると、ゆったり大嫌いっつうタイプの人もいて、特に用もないのに,矢鱈出たがり屋の人もいた。ああいう神経は全く理解できない。幼少期、孤独を強いられ、その反動で、大人になっていささか自由を手に入れるやいなや、連日の外出!ってえわけ。人それぞれで、一概に善し悪しは言えないが、傍から見ていても不思議なことだった。まっ、他人様のことはどうでも良いので、で、私はどうなのかである。「引き籠もり派」である。ジ~ッと机に向かって居るのが大好きなのだ。今も机の傍らで、愛猫「タマちゃん」が、気持ちよさそうに丸くなっている。二人でこうしているのが一番好きだ。話は変るが、未熟者もこの寺にやって来てはや、43年になる。あっと言う間である。ぼつぼつ賞味期限切れの感なのだが、代わってやってくれる者がいないので、今なお続けて居るっつう訳。トホッ!私はこの寺出身では無い。他所から貰われてきた。処が来るやいなや待ってましたとばかり、全伽藍をたてかえますだと!俺はそんな事、聞いてね~よ!だったが、有無を言わさず強引に引っ張り込まれて、爾来約十年間、ヘロヘロになった。まっ、周りの方々に支えられてどうにか今がある。それは兎も角、大病もせず、こうして何とかやって来られたのが、何より有り難い。万事ご縁である。折角頂いたご縁をこれからも大切にして、ぶっ倒れるまで頑張ろうと思っている。
2025年02月08日
今日もユルフン
あまり品の良くない題目でご無礼する。要するブッタルンでいるっつう事。制間になって途端にこの調子、トホッ。弛緩の配合が誠に良く出来ているのである。で、今はユルフン期なのだ。人間緊張ばかりでは保たぬ。机の前の窓越しに山が見える。鬱蒼と茂る木々が微かに揺れている。弱い日差しがさして、キラキラ輝いている。飽きずに眺めている。不思議に心癒やされる。
2025年02月06日
ユル褌
2月制間になって、ユル褌(ふん)。冬期の制中が無事に終わって、ほっと一息 つうところ。久し振りに緩んだ日々を堪能している。窓の外はこの間の雪がまだしぶとく残って、お日さんにキラキラ輝いている。向いの山の木々が風に微かに揺れている。境内物音ひとつせず、静まりかえっている。ジ~ッと飽きずに眺めていると、不思議に心癒やされる。私はこう言うときが一番好きだ。孤独大好き人間なのだ。これで、経済のことも何も心配なく、悠々と日々送れるのだからこんな幸せなことはない。本当に有りがたいことだ。
2025年02月05日
制間ボケ
2月に入り制間になった。途端に緩褌(ゆるふん)になって、ボ~ッと日々過ごしている。ガラス窓越しに向いの山の木々が風にユラユラ揺れ、キラキラ輝いている。ジ~ッと飽きずに眺めている。私はこう言う時が好きだ。嘗て知人で、一時も周りに人が居ないと、いたたまれないっつ~変な人が居たが、ありゃ~一体何だったのか?幼少期の孤独の恐怖から逃れたかったからだと思うと、可哀想な人だった。♫人生いろいろ・・・である。人間の今は、実は過去なのである。
万事スロ~ペ~ス
万事スロ~ペ~スになった。若い頃のように、チャッチャッといかない。少々もどかしくも思うのだがが老化と言う事なのだろう。まっ、もたもたしていても、周りに人はいないので、横からごちゃごちゃ言われることはない。机の上もグッチャグチャ、我ながらもう少し整理整頓したらどうだ~っ!と思うのだが、これは小さい頃からの悪癖で、隣の兄の机の上は何時も綺麗に整えらていた。私は未だに引きずっているっつわけだ。トホッ!外は冷たい風が吹いている。向いの山の木々が微かに揺れている。屋根にはまだ残雪がこびりついて、一層冷たさが伝わってくる。
2025年02月04日
制間、4日
制間になってすっかり気が緩んで、所謂「ユル褌」になった。特別行事も無く、終日ノ~ビリ。たまには、こう言うのも良いもんだ。外は陽がさんさんと照り、窓越しに山の木々が風にユラユラ揺れている。物音ひとつせず静まりかえっている。こう言うときが私は一番好きだ。人によると孤独真っ平、と言う人もいたが、ああいう神経は私には理解できない。孤独くらい良いものはないじゃないかと、思っている。相棒の「タマちゃん」がいつも側に居る。丸くなってスヤスヤ寝息をたてている。幸せそうな姿を見ていると不思議に心癒やされる。
2025年02月03日
終日ドン曇り
陰気くさいったらありゃ~しない!昼間っから夕方のよう。今にも雨が降ってきそうなのだが、降ってこない。こう言う日は万事意欲的で無くなり、終日ボ~ッと過ごす。近頃はそうでなくとも、ボ~ッとしているので、そのボ~ッが加速されて、益々馬鹿が進行するっつわけ。我が事なので、辛抱強く耐え忍んでいるのだが、普通ならもうとっくに見放している。これら全ては一重に老化による。しかしこの老化、解っちゃいるけど避けることは出来ないのだ。どうも陰気くさい話ばかりになってくる。困ったこんだ!トホッ!
晩板板後、節分追難会
ずっと以前、同様なことを書いたような気がするが,今でも忘れられず、想い出すことがある。恒例の節分、晩開板後、褌一つになった鬼役の、体中墨で真っ黒、クロスケに塗りたくられた者、何せ寒中真っ盛り、冷たいなんて~ものじゃない、死に物狂いだ。食堂では老師を始め並み居る雲水達が整然と座して待ち構える中、提灯を掲げた案内役・鬼役・豆撒き役と三人ひと組になって、寺中駆け回る。中でも鬼役がこん棒をおもっ切りドスンドスンと板の間を叩きつける。この日ばかりは主役で、誰も文句は言えない。寒さと興奮のあまり、何を考えたのか不明だが、並み居る雲水の一番高単の雲水をいきなり蹴り倒し、後に続く者が型どおり、思いっきり豆をまき散らしたのだ。唖然とした。しかし今晩は何と言っても主役は鬼なのだから、やりたい放題、暴れまくったのだ。人間興奮すると何をやらかすか解らない。その典型である。まっ、これも行事と言う事で、大事には到らなかったが、少々やり過ぎである。日頃から何時か蹴り倒してやろうと満を持していたのかも知れないが、その時は何事もなくすんだ。今でも懐かしく想い出す。煮えたぎるような若さがそう言う形で爆発した瞬間だった。
2025年02月02日
制間ボケ
今朝は本来寝忘れなのだが、寝忘れを忘れて通常の如く起きちゃった。で、すること無いのでこうしてブログを書いている。勿論外は真っ暗闇、ジ~ッと闇を眺めていると、何だか落ち着く、83才。お陰様で元気で、こうして修行させて貰えるのが何より幸せ。孤独の幸せをしみじみ味わっている。何が有り難いと言って、健康くらい有り難いことは無いのだから。良く人は独りぽっちで淋しいでしょうと言うが、独りぽっちくらい、快適なことは無い。何一つ煩わしいことも無く、日々過ごせるのだから。ガラス越しにジ~ッと闇を見つめていると、不思議に心癒やされる。