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2025年03月30日
何も無いのが何より
こう言うのは僧堂によっていろいろなのだろうが、うちではほぼ毎日何も無い。訪れる人も無し、シ~ンと静まりかえっている。何か行事で沢山人がやってくると、酷く草臥れる。もうこのパタ~ンが定着しているので、出来るだけ人がやって来ないように、無意識のうちに、そっちの方に向く。今やそれがうちの家風になった。それで僧堂の経済はほど良く廻って行くのだから、こんな有り難いことは無い。感謝感謝である。嘗て私がお世話になった処は、ひっきりなしに人がやって来て、隠侍寮などはお茶出しに天手古舞い、大汗掻き掻きだったが、今から思うとあれは何だったのかと、不思議な気がする。私もここへ来て43年になる。何時もシ~ンと静まりかえった境内で、心静かに暮らせるのだから、こんな有り難いことは無い。
2025年03月29日
3月も、残りあと二日
毎日、どうでも良い私的な文章で、もううんざりだろうと思います。どうぞ無視してパスして下さい。うるせ~っ!てんだよ~!ペコペコ。一重に私の老化防止策の一貫ですからご寛恕ください、トホッ!83歳の老いぼれ爺より。と言うようなわけで、あっという間に春3月も残りわずかに成りました。月日は百代の家客にして行き交う人もまた旅人なりです。今日はあんまり良い日和なので、お日さんに惹かれるように、境内を一巡り、ソヨソヨと柔らかな春風を頬に受けて、心の掃除をしました。シ~ンと静まりかえって、時が止まったような感じです。無人、私はこう言う時が一番好きです。
無為
私が仕えた師匠はお二人とも,常に側に人が居ないと、いたたまれないという風だった.傍から見ていて、何時も不思議に感じた。孤独くらい気分の良い事はないでは無いか。まっ、これは良し悪、の問題では無く、人はそれまでの過去の蓄積の上に今、生きて居るっつう事なのだろう。人生の連綿からは誰れも逃れることは出来ないのだ。これは本人の問題だから、傍から善し悪しは言えないが、僧堂という孤独が専門の場で、矢鱈ベタベタひっつかれては、はた迷惑この上ない。幼少期の孤独の埋め合わせを、今になってやられては、勘弁してくれよ!だった。今更こんな事を持ち出して云々するのは、止めといて、なのだが、一辺くらいは言わせて貰わないと腹の虫が治まらぬ。トホッ!
2025年03月28日
連日無為
このところ無為の日々が続いている。私はこう言う時が大好きで,大いに満足している。嘗て仕えた師匠はお二人とも、常に側に人が居ないと堪えられないという方だった。何とも不思議に感じていた。孤独くらい楽しいことは無いではないか。臨み通り今私はその孤独をギシギシ噛み締めて、満足している。まっ、人それぞれっつうことなのだろう。机の前に、もうとっくに死んでしまった愛犬ハチの写真が飾ってある。何年経っても、写真を眺めながら、毎日散歩に出掛けた頃を、昨日のことのように想い出す。
2025年03月27日
連日、ノ~ビリ
快適に過ごしている。孤独大好き人間の私にはぴったりの環境である。机の前の窓越しに、向いの山が鬱蒼と茂っている。ドン曇り、ソヨともせず、まるで時が止まったようだ。ジ~ッと飽きずに眺めている。こう言う時が私は一番好きだ。”孤独”大好き人間の私には尤も相応しい一時である。こんなに何もせず、それでお寺はスム~ずに廻ってゆくのだがら、有り難いことだ。丁度40才の誕生日にこの寺にやって来た。今年83歳になる,もう43年経った。これからも命ある限り、此処で頑張ろうと思った。
2025年03月25日
終日ノ~ビリ
特別何も無し。終日ノ~ビリ過ごす。日中、裏山歩き少々、一汗掻いて、体を拭いてスッキリ。あっという間にもう3月も下旬。極めて健康的な日々を過ごしている。気分も絶好調、何も言うこと無し。そもそも私は一日に1回一汗掻くくらいの運動をしないと、とてもじゃないが生きてられないのだ。と言うことで、その良い循環で毎日が廻っている。だから気分も絶好調、スッキリ快適な日々を過ごしているっつうわけ。こう言う環境を与えてくれた先人に感謝である。有り難し有り難し。
2025年03月24日
空振り食う
人間誰でも老人になると医者通いが仕事になる。私も目下、その真っ最中で、毎日のように何処かの医者へ出掛けて行く。例によって例の如く出掛けたら、本日午後4時より診察という張り紙、空振り食って、帰ってきた。トホッ!机のメモを見たら、本日診察午後四時と書いてあるではないか!バカバカ!やってられね~よ~!てんだ。内科医へ行くより頭の医者へ行った方が良い。まっ、近くのお医者さんだったかまだ良かったが・・・。かくの如く、人間老いると碌な事はないと言う典型。落ち込んだ気持ちを立て直そうと、しばし窓越しに、向いの山の鬱蒼と茂る木立をジ~ッと眺めている。
2025年03月23日
近くへ買い物
何処かへ出掛けたい気持ちになった。丁度買い物もあったので、車に乗せて貰い出掛けた。一寸した気分転換である。たまには外の空気も吸っておいた方が良いような気がした。空は晴れ渡り心地よい風が吹き抜け、陽はさんさんと降り注ぎ、山の木々の葉がキラキラ輝いている。境内はシ~ンと静まりかえり、無為がピッタリ。ジ~ッと飽きずに外を眺めている。私はこう言う時が好きだ。嘗て、矢鱈人の側に居たがる人が居たが、今でもその人の心境は理解できない。ただ煩わしいだけだと思うのだが、人それぞれと言う事か。人間誰でもその人の過去を引きずって、今を生きているということなのだろうか。
2025年03月22日
の~びり
このところ何もない日が連続で、従ってブログに書くことも無いっつうわけ。それなら止めときゃ良いじゃないかと思うだろうが、それでもなお、何か書こうという、 精神が大事。机の前の窓越しに、向いの山の鬱蒼とした木立がユラユラ揺れている。それを飽きずにじっと眺めている。無為、この時が一番好きだ。僧堂時代、私の仕えた師匠はお二人とも、一時の暇も無く客を呼んで、茶飲み話をして居られた。私には考えられないことである。まっ、人それぞれっつうことなのだろうが・・・。人間を相手にするくらい煩わしいことは無いではないか、孤独を愛す、である。独りぽっちくらい楽しいことは無い。今も机の前の窓越しに、向いの山の鬱蒼とした木立がユラユラ揺れているのを飽きずに眺めている。
2025年03月18日
日々老化
どうも景気の悪い話ばかりで恐縮だが、人間80を過ぎると大体こんなもんだ。そもそもそうなる前に交代すれば良いだけの話なのだが、近頃は師家に成ろうなんぞという輩はとんと居なくなった。と言うより、一端僧堂を引いても、大接心ごとに、せっせと通参する輩がいなくなったと言う事である。僧堂を引いて何処かの寺に住職しようものなら、これで一丁上がりぐらいに思っている。トホッ!なのである。修行は一生である。そこの根本が解っていないのだ。居室の窓越しに向いの山の鬱蒼とした木立を、ジ~ッと飽きずに眺めている。私はこう言う時が一番幸せだ。
2025年03月15日
日々好日
と言うといかにも良い感じに聞こえるが、日々自堕落に漫然と過ごしているだけのこと。こんな恥さらしは書かない方が良いのだが、馬鹿だから書いちゃう。ところで話は変るが、長年使っていた腕時計が突然止まってしまった。早速時計屋へ行って直して貰おうと思ったら、お客さん、失礼でございますが、この腕時計を修繕するより、新しくお買い求め頂いた方が安く付きますが・・・だと。そこで清水の舞台から飛び降りるつもりで、新しいのを買った。だから用もないのにしばしば眺めている。嬉しくてしょうが無いのだ。トホッ!時は刻々と流れ、早や3月半ばになった。“無為”の二文字が目の前に躍っている。こりゃ~まずいな~、何とかしなくっちゃ~!と思えども、根がナマケモノだから、思うだけで結局無為の日々。トホッ!
2025年03月13日
日々好日
何も無いのが、私にとっては好日である。孤独大好き人間なのだ。机の前のガラス越しに向いの山の鬱蒼と茂る木立を終日飽きずに眺めている。これと真反対の人が嘗て居た。副司寮に居ると、何の用もないのに、隠寮から降りてきて、終日ベッタリくっついて離れないのだ。何かは他にすくことね~のかよ~!馬鹿か!と、失礼ながら思った。人恋しいのか、孤独がいたたまれないのか解らないが、兎も角迷惑千万だった。まっ、人は過去の結果に今、生きているのだから、今そうなるべくしてそうなったと言うことなのだろうが、兎も角、変な人だった。早く死んでくれて良かった。トホッ!まっ、こう言う話は、品性が問われるから、余りしない方が良いのだが・・・。一辺くらいは言わせて貰う。
2025年03月07日
本日寝忘れ
普通に眼がぱっちり、仕方ないので午前三時半に起きて、暇なのでブログを書いている。カレンダ~の隅っこに、天衣寺閉単決定と書いてある。近年入門者はゼロが続き、ついに閉単となった。仕方なし。開単当初は次々に入門者が来て居たが、近年は入門者ゼロ続き、これでは閉単も仕方ない。一寸淋しい気もするが・・・。修行したい尼僧さんは、近くの男僧堂へ通参するらしい。開単当初の賑わいが懐かしく想い出される。3月もはや前半終了、あれよあれよと言う間だ。日々超特急で過ぎて行く。
2025年03月06日
日々好日
制間になって、ゆったり日々を送っている。向いの山の木々が、春の柔らかな日差しに照らされて、キラキラ輝いている。境内は静まりかえって、無為という言葉がピッタリ、私はこう言う時が大好きだ。生来ナマケモノなのかも知れない。私の仕えた師匠はお二人とも、人間大好きタイプの方で、側に誰かが居ないと、いたたまれないという風だった。それが何とも不思議だった。孤独くらい楽しいことはないではないか。どんなに親しい人でも、暫く相対しているうちに鬱陶しくなるものだ。そもそも禅の修行が孤独なものなので、それが嫌なら禅僧になんかなるな。まっ、それは兎も角、私の今は、ズ~ット孤独の真っ只中、こんな快的な日々は他にない。大いに満足して孤独をギシギシ噛み締めている。
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2025年03月04日
タマ、失踪
そぼ降る雨の中、タマを訪ねて三千里、アッチの公園、コッチの公園と、もうヘトヘト、何と直ぐ近くの倉庫の中から、ニャン!と言う声、トホッ!やってられないつうの!もうヘトヘト、おまけに倉庫の前でけつまずいてスッテンコロリン。全身泥まみれ、てえわけだ!しかし可愛いタマのためには、このくらいのことは屁でも無い。あらゆる困難を乗り越えて、その先に光明はあるのだ!少々オ~バ~な気もするが、私の猫愛は、ざっとこんなもの。今、タマチャンは側らの専用の丸い寝床でスヤスヤ。ほっと安堵の胸を撫で下ろした。
2025年03月03日
頭パ~!
この頃、私のドタマは殆どパ~!にもかかわらず、ちょっと文章を・・・などと、迷惑なことを言ってくる。私は何も書くのが嫌で言ってるわけではない。パ~になっちゃったから、もう文章は書けないのだ。まっ、あんまりパ~!パ~!と言うのも、憚ることだが、本当に、パ~ッ!なのだから仕方ない。つまり恥をさらしたくないのである。これは当然なことである。ボツボツ師家も引退を考えている。何時までもグズグズしていると雲水に迷惑掛けるだけだから。どうも景気の悪い話ばかりで、読んでる方々もいい加減にしろ!と思われるに違いないので、此処で止めておく。誰でも年を取れば嫌でもこうなる。トホッ!まっ、自分でこう言っているうちは、まだましかな~!
2025年03月02日
本堂公開・本日終了
生憎の曇り空だが、二日間の本堂公開も、今日で無事終了。うちは僧堂なのでこれと言ってご覧頂くような物は無いのだが、強いて言えば、本堂障壁画が有名で、平生は門をバッチリ閉めて、一切立ち入り禁止なので、怖い物見たさ、と言うと変だが、兎も角この機会に入っておこう!精神で、矢鱈沢山人が来る。人が沢山来ると、誰か見張り番がいるわけで、知り合いに助けて貰い、お陰様で何事も無く、無事終了、ほっと安堵した。毎年恒例で、厄介で仕方が無いのだが、まっ、ささやかな社会還元である。生憎のドングモリ、陰気な一日だったが、何事も無く終わって良かった!そもそもお寺は多くの方々のお力添えで成り立っている。このくらいさせて貰うのは当然のことである。