« 2025年03月 | メイン

2025年04月17日

欠伸のしすぎで・・・

顎が草臥れて、蝶番がガタガタになった。少々オ~バ~な言い方だが、まっ、要するにそんな感じ。机の前の窓越しに、向いの山の鬱蒼と茂る木立を飽きずに眺めている。時折微かに揺れている。怠惰の二文字が目の前に躍っている。トホッ!嘗て仕えた師匠はお二人とも、側に人が居ないといたたまれないと言う風だった。これが何とも不思議で理解できなかった。孤独くらい快適なことは無いではないか。今の私はその孤独をギシギシ噛み締めて楽しんでいる。だから日々爽快な気分で過ごしている。人ぐらい煩わしい者は無い。人間嫌い、自然大好き。まっ、これで僧堂は上手く廻っているのだから、幸せなものだ。

投稿者 zuiryo : 09:25 | コメント (0)

2025年04月16日

無為

このところ終日無為とかノ~ビリとか、怠惰な日々を送っているかのような誤解を招く文章ばかりで、一寸まずい!と反省している。まっ、確かに、日々仕事に忙殺されているわけでは無いが、決して怠惰な日々では無い。強いて言えば、何もしないことに全力を挙げて居るっつうわけだ。物も言い様だね~!と言われそうだが、そもそも禅道場とはそういう所なのだ。まっ、人によると日々何処かへ出掛けていったり、来客あまた、なんと言う人もいるようだが、そんなのは僧堂本来の姿では無い。ガタガタ余分なこと言ってるように聞こえるかも知れないが、何も無いのが僧堂なのだ。と言うわけで、目下僧堂本来の日々を一生懸命頑張っている。トホッ!

投稿者 zuiryo : 09:55 | コメント (0)

2025年04月10日

連日無為

こんな表題は、本当は書かない方が良いのだが、バカだから正直に書いちゃう。トホッ!まっ制間っつうこともある。本堂の濡れ縁から広がる庭を飽きずに眺めている。無為、私はこれが好きだ。私の仕えた師匠はお二人とも、常に側に人が居ないといたたまれないっつ風だった。トホッ!人間ぐらい煩わしいものは無いでは無いか!何時もそう思っていた私には、この神経は全く理解できなかった。現在も私は孤独を愛すである。孤独くらい自由で楽しいことは無いと思っている。まっ、人それぞれってえことなのかも知れないが。暇をギシギシ噛み締め、楽しんでいる。居室の机の前のガラス越しに向いの鬱蒼と茂る山が見える。何時までもジ~ッと飽きずに眺め、楽しんでいる。私はこう言う“無為”が大好きなのだ。

投稿者 zuiryo : 12:10 | コメント (0)

2025年04月06日

終日ノ~ビリ

訪れる人も無し、出掛ける用事も無し、毎日ノ~ビリ快適に過ごしている。雲水も人少で、境内の掃除も大変と思うかも知れないが、それが上手に考えられていて、庭も殆ど手がかからないように工夫されている。だから余裕たっぷり、悠々と日々過ごしている。比較的繁華街に近いのだが、入り口から参道左右に合計6ヶ寺、一番奥に僧堂があり、背後に山を背負い、シ~ンと静まりかえっている。まるで深山幽谷にあるが如しである。こう言う絶好の場所で、一方経済的には市内中心部に貸し地が有り、全く困らない。有り難いことだと何時も感謝している。檀信徒の月参りに追われることも無く、全てスム~ずに廻っている。何も苦労が無いのが一番の敵だと思っている。居室の窓から向いの山の鬱蒼と茂る緑を飽きずに眺めている。木立が風に微かに揺れている。

投稿者 zuiryo : 14:16 | コメント (0)

2025年04月04日

何事も無しが良い

嘗て私がお世話になった僧堂では、ひっきりなしに来客があり、順番待ちの控え所になった副司寮では、その客のお相手をしなければならず、全く閉口した。現在、私は嘗ての師匠と同じ立場になったのだが、そもそも来客など殆ど無く、故に副司役が部屋に張り付いていなければならないことは全く無い。日中は他の雲水同様、作務に精を出している。そもそもこれが通常なので、ひっきりなしに来客があることが異常だったのである。二代続いてそういう風だった。当時を改めて振り返り、あれは一体何だったのか、不思議な感じがする。現在はどうなのか聞いたことは無いが、多分もうそんなことは無いだろうと思う。別にそれが良いの悪いのと言うつもりはないが、そもそも僧堂は修行する専門道場なので、一般の方々が出入りするところでは無い。今になってこんな事を持ち出して云々するのも憚る話だが、あの異常さを振り返り、バカもいい加減にしろ!と、腹立たしい気持ちになる。その根底にあるのは、そもそも雲水の托鉢も、頂く物もほぼお米、背に腹は代えられねえってところなのである。トホッ!

投稿者 zuiryo : 14:36 | コメント (0)

2025年04月01日

小さい頃を想い出し・・

フッと、遙か昔の小さい頃を想い出した。小学校へ入学するやいなや、始まる2時間も前から出掛けた。兄からは何時も、そんなに早く行くな!と厳しく叱られていた。それでも兄の目をかいくぐって、猛烈に早くから学校へ行った。門の入り口に住み込んでいた小遣いさん夫婦の家で、門が開くまで待たせて貰った。兎も角学校へ行きたくてしょうが無かったのだ。近頃は不登校が問題になっているらしいが、私には考えられないことだ。学校くらい楽しいところは無いではないか!学校大好き人間だったから勉強も良くした.帰ってきてからも部屋に籠もって机にしがみついていた。だからいつも母から、「ハイ!勉強は良いから外へ遊びに行ってらっしゃい!」と言われていた。後年突如として、俺、坊さんになる!と言いだしたら、やっぱり、変だ変だと心配していたのよ!何でもやり過ぎは駄目よね!後年鎌倉のお寺に入った頃、独り暮らしを心配して、台所仕事を一手に引き受けてくれた。母と二人きりで、シ~ンと静まりかえったお寺で、ひっそりと暮らした七年間は、私の一番懐かしく、有り難く、良い思い出で一杯だ。そん或る日、知り合いのお坊さんがやって来た。今度岐阜のお寺に入って頂くことになりましたので・・・。ガックリきた。まっ、何事も縁、あれからもう42年になる。

投稿者 zuiryo : 15:17 | コメント (0)