国師の禅風は、濃尾両国を中心に、全国に広がり、多くの法孫を育成し、東海派禅門の古道場として世に知られるところとなった。
道場に於ては七百有余の雲衲(修行僧)を接得し、遂に九人の法嗣(師の法を伝えてその法統を嗣ぐ弟子)を打出した。
明應九年九月六日開山悟渓国師が示寂して以来、弟子達が一年毎に輪住し、寺は守られた。延亨四年、二四七年間続いた輪住制は終り、その後約六十年間の空白期があって、文化三年(一八〇六)隠山禅師に依って再興された。
禅師の宗風は大いに振興し、隠山下九哲と呼ばれる傑物が輩出され、爾来百八十余年間その命脈が保たれている。 |