2000年4月 空(くう)
 
 友人からこんな話を聞いた。彼の父親は日常生活でも非常に落ち着いていて、ものの道理を良くわきまえ周囲からも厚い信頼を得ていた。家族を始め周囲からも大いに尊敬されていた。また土地柄もあってか信心も大変篤かったようで、沈着冷静という言葉がぴったりの人だったそうである。
 歳月は流れ、その父親が七十五才を過ぎた頃突然の病に倒れた。しかも事態は最悪で癌に侵され既に手の施しょうもない状態になってしまっていた。急遽入院加療になったが、全く回復は望めない状態であった。やがて本人も病が大変厳しいものであることを自覚してきたのか、家に帰りたいと言いだした。いくら周囲が駄目だと言っても頑として言うことを聞かない。遂には点滴の針を自分で引き 抜いてベットから起き上がり帰ろうとする始末である。家族の者が必死になって説得しても言うことを聞かないので、無理やりベットに押さえ付けて寝かせるというような状態になってしまった。

こうなるともう駄々をこねる子供のようなものである。彼は父親の全く人格が一変してしまった姿を目のあたりにし、考え込んでしまった。今まで見てきた沈着冷静だった父は一体何処へ行ってしまったの か。こういう時こそ阿弥陀さまの信仰の力に支えられ、その沈着なものの見方が発揮されなければならないのに、全ての拠り所を失い、ただ死の恐怖におののき、見栄も外聞もかなぐり捨てた父親の姿は哀れという他なかった。彼の中の父に対する今までの信頼と尊敬の念がガラガラと音を立てて崩れ落ちていった。どうしてこのような状態になってしまったのか。この点について私は次の様に考えて いる。一つには深く心境を練っていなかったことが要因ではないだろうか。人間の思いには深浅があるように思う。
 話は少々飛ぶが、茶碗や花器などいわゆる茶道具を選ぶ際でも、騙されて痛い思いをするのが道具を知る一番良い方法と聞いたことがある。誰でも相応の知識を身に付け、しかも大切なお金を使うわけだから慎重のうえにも慎重を重ね、考えた末に違いない。それでも皆騙され、しまったと臍を噛むのだ。骨の隋まで痛さが身に染みていないときの知識は矢張り甘いのである。それが生死の問題とも 成れば尚更のことで、簡単に何度も稽古するというわけにはいかない。大抵は思いも掛けずその時が突然やってくるので、皆心の準備も何も出来てはいないのである。恐らくいきなり生死巌頭に立たされ不安と孤独と焦燥で心は張り裂けんばかりになるであろう。この時一体何が苦しい胸の内を癒してくれるのか。そんな時、人の気休めの同情など却って苦しみを増すばかりである。三途の川の淵に 佇んでいるような人に対して、今は元気で自分は死から一番遠いと思っているような者が手を差し伸べ、心に響く言葉など到底吐けるはずがない。一言半句下手なことを言えば白々しさが残るだけで、却って相手を益々暗闇に引きずり込むことになるのである。
 こういう事態に至った場合、結局は自分自身の力で苦しみの真っ只中から一場の光明を見い出し、それを頼りに心安らかになってゆく以外にはない。では心安らかになる力とはどうすれば得られるのだろうか。私はそれを″空(くう)″だと考える。つまりぎりぎりの所では道理や理屈など何の役にも立たない。ましてや人などを頼りに出来ないのだ。大切なのは自分自身がいつも空に生きることなのである。人は何にも無い所から生まれ、 やがてまた何にも無い所へ帰って行く。現世と言っても実は何も無いのだ。しかし生まれてからずっとこの自分というものと付き合っているうちに、この生命体を自分のもの″のように思うようになる。そこにみびいき〃が生まれ、自分だけはこう在りたいと勝手に思い込んでしまう訳である。″有漏路より無漏路へ帰る一と休み雨降らば降れ風吹かば吹け ″これは一休和尚の歌だが、こういう心境に少しでも近づきたいと思ったら、平生の過ごし方が大切になってくる。いつの空″の世界に意識して親しんでおくことである。

そのためには″私は不信心でして、目下宗教の必要性は感じておりませんので…″では駄目なのだ。いざという時になって、にわかに宗教を問うても手遅れである。空の世界がそうやすやすと手に入れられるとはとても思えないが、それでも空の世界の息吹を少しでも多く膚を通して味わっておく。そうすれば恐らくぎりぎりの所に立ち至ったとき必ず力が湧いてきて自らを救うことが出来るのだ。だから不信心を恰も自慢するように言ったり、またそれでも人間の一生が終えられるなどと言う甘い考えは即座に捨てるべきだ。宗教は求める人のためだけに在るのではない。それは丁度水や空気のように欠くべからざるものなのである。

 

 

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