1994年6月 巡り会い
 
 昨今宗門では、尼僧さんの為り手が少なくなって、次々と無住の尼寺が出来て困っている。小さい頃から我が子同様に預かり育て、何れは跡取りにと思っても、さて成長して立派な娘さんに成ると、黒髪を落とすことに猛烈な抵抗感があって、中々思うようには行かないらしい。
 ましてや今日では何処でも子供は一人か二人が常識で、尼寺に子供を預けるなど皆無に等しい。そんな中でも数は極めて少ないが、自ら志を立てて尼僧志願する者が居る。その内の一人で、大変真面目な尼僧さんを知っている。
 彼女はごく普通のOLだったが、何か心に期する物が有ったのだろう、出家して尼僧に成った。色々な縁で或る尼寺に弟子入りし、修行を続けていた。二年、三年経ち、段段と此の世界の事が分かって来ると共に、周囲の事柄にも批判の目を向ける様に成っていった。
  此れは決して此の尼僧さんの心に邪念が沸いてきて、矢鱈批判的な見方ばかりし、修行の本道から外れたと言うのでは無く、寧ろもっと純粋に此の世界に生きたいと願い、本当の修行をしたいという強い願望からである。 一つ一つを聞けば尤もな話ばかりで、其のとおりと言う外はない。このままではやがて古い体制の中に埋没して、清新な気力は失われ、何の為に尼僧に成ったのかの意味も無くなってしまう。そういう危機感から、現状を如何に打開していったら良いのかと言う相談を受けた。以下は其の時話したものである。
 今から一千年以上も昔の中国の話。倶胝という若い修行僧が金華山の麓の草庵に暮らしていた。或る時実際と言う一人の尼さんがやって来て、笠を被り錫杖を持ったまま、ずかずかと上がり込み、倶胝の周りをぐるぐると三辺回った。誠に失礼千万な振る舞いである。そこで倶胝は「笠ぐらい取ったらどうだ」と言うと「道い得ば即ち取らん」
 ここで宗旨に適う一句を言えたら此の笠を取るぞ、と言う事だろうか。其れにしてもいきなり見知らぬ尼さんがやって来て、こんな振る舞いには、倶胝も度胆を抜かれたに違い無い。しかし修行未熟な彼は、悲しいかな適切な一句を言うことが出来ない。唯黙っているだけである。こんな無限子を相手にしておれんとばかり、帰り掛けた尼僧に、倶胝は「もう日も暮れてきた。次の村までは遠い、一 晩お泊りになったら如何ですか」と言った。すると此の尼さん再び「道い得ば即ち宿せん」ここで宗旨に適う一句を道い得たら泊まっても良いがと言う事だろうか。遂に此処でも倶胝は唯俯いて黙るばかりである。尼さんはさっさと蹴る様にして帰ってしまった。
 倶胝は其の夜しみじみと考えた。あんな尼さんにやり込められて、一句も言うことが出来なかった。自分は何と情けない男なんだ。よし明日は明師を訪ね、諸国行脚の旅に出て、自分を鍛え直そう。そう心に決めた。
 其の夜、夢に土地(つち)神が現れ「お前に其れだけの決心が有るのなら、寺を捨て行 脚に出ることはない。近い内に必ず肉身の菩薩がやってきて、お前の為に法を説く」
 其れから凡そ一週間経った頃、天龍という和尚がやってきた。其処で実際尼との遣り取りを一部始終話した。すると和尚は何も言わず、すうっと指を一本立てた。其れを見て倶胝は割然と大悟した。実はこの話は、最後のすうっと指を一本立てたと言う処が要に成っているのだが、今回私が取り上げたい部分は、倶胝が自分の未熟さに気付いて、一度は行脚に出ようと決心するが、遂に思い止まったという処である。
 私も修行していた頃、道場を去ろうと思ったことが何回かあった。お互い迷い乍らの修行である。そういう節目節目を何とか思い止まり乗り越えて、初めて新しい境地が開けるのである。
 人生は、沢山の巡り合いの中で生まれる緑に依って展開している。良い巡り合い悪い巡り合い様々であるが、其れは本人が計ってそうした訳ではない。天地自然の運行に任せてそう成ったのだ。彼女が出家し尼僧に成ったのも、きっとそうせざるを得ない何かが有ったのだ。自分では気が付かない間に、沢山の巡り合いの中から蓄積され、育まれていった結果、此の道に入り、又其れが新しい縁と成って次への一歩となり、又新たな巡り合い 生む。
 だから、何時も今の居場所を大切にして、真面目に頑張ってさえいれば、、いつか必ず自分を救って呉れる良き縁に巡り合えるのだ。其のじっと我慢の時期が長ければ長いほど、思いの丈も深くなり、其れが我が身を支える大きな力に成る時が来ることを、決して忘れてはいけない。
 

 

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