1994年7月 自然に学ぶ
 
 鎌倉に住職していた頃、Y先生に大変親しくさせて頂いた。或る有名な国立大学の航空工学の教授で、定年退官後は私立のM大学へ変わられた。先生は斯界では夙に有名な人で、かって全日空機羽田沖墜落事故調査団にも係わり、色々と物 議を醸したこともあった。
 私がお目に掛かる様に成ったのは晩年で、若い学生を相手に、酒宴になると必ず越中小原節を謡うのが十八番で、大変楽しい人だった。大学が休みになると、奥さんを連れて能く旅をされた。「家内はシェルパです」と言っては、奥さんに大きなリュックを背負わせて、夫婦二人きりの気儘な旅を楽しんで居られた。そんな時には何時も地方の旧い民家をスケッチするのが常で、よくその絵を拝見し ながら旅の様子などを伺った。
  先生のゼミには学生がわんさと押し掛けるので、に掛けて選別する訳だが、其の方法が大変ユニークだった。二つ有って、先ず第一は石膏のミロのビーナス像を教室の真ん中に置いて、学生たちにスケッチさせる。航空工学とミロのビーナスと、どういう関係があるのか不思議に思うが、理由はこうである。
 飛行機の機体設計というのは、一切の無駄を省いた、最も洗練されたラインを作り出すことにある。一寸でも不都合があれば、空中分解してしまう。そこで合理的で、しかも洗練された美しい形を作り出すセンスが有るか無いかは、大変重要な問題となる。従ってミロのビーナスに美意識を持ち、其の美しさを綺麗な線で表現出来ない様な奴は駄目だと言うのである。
 二つめは、大学校内のトイレの掃除をさせるというものである。飛行機が一機完成し、無事に空を飛ぶ為には、機体の設計は勿論の事、エンジンをはじめ沢山の機械類、その外ねじ一本に至るまで何万という膨大な数の部品が完全に組み合わされて、初めて可能に なる。だから直接目には触れないが、実に多くの人達の労苦によって支えられている訳である。
 そこで縁の下の力持ちの有る事を、何時も忘れ無いでいるようでなければ、良い機体の設計は出来ない。人の一番嫌がるトイレの掃除を厭わずにする。こう言う気持ちが無い様な奴は此の学問をしても駄目なのだという。
 先生のゼミは此の二つのテストで、先生のお眼鏡に適ったものだけが受講を許された。超音速で飛ぶジェット機の機体を設計すると聞くと、直ぐ机に向かって黙々と図面を引く、無味乾燥な作業を連想するが、決してそういうものでは無いと言うことを、その時初めて知った。
 又先生は常に自然に学べと言っておられた。先ほど旅に出て旧い民家をスケッチすると言ったが、そういう家には大抵大きな樹木が有って、其の木と建物が、いわく言いがたくぴたっと添っているそうである。木は長い年月の風雪に耐えながら、理想的な形を自ら作っていく。樹齢何百年と言うような木の姿をじっと見ていると、無駄な枝は一本も無いという事である。
 先生のスケッチにはこうした大樹も良く描かれていた。この中にはジェット機の機体を生み出すヒントが籠められているという。
 学生たちも先生に習って鬱蒼と繁茂した大樹を描くのだが、中々旨く行かない。「お前達は葉っぱにばかりに目を奪われて、中の枝が見えてないから駄目なんだ。」と言っておられた。
 或る時お寺の法要に出席して、食事中、目の前にひらひらと菩提樹の実が舞い下りてきた。ご存じの方も有ろうが、菩提樹は丁度ヘリコプターのプロペラのように二枚の葉を左右に大きく広げ、其のほぼ中心に四、五センチの細い枝が延び、先端に一個実が付いている。風に乗って少しでも遠くへ種子を飛ばして、子孫をより増やそうという植物の知恵である。見事に回転した一枚が先生の目の前に落ちてきた。早速ハンカチで丁寧に包み、大事に持ち帰り、其の姿形を克明にスケッチされたという。
 このような葉の微妙な反り返りなどは、人知の及ばぬものだそうである。じっと眺めていると、プロペラの理想的な形が出来てくると言っておられた。その外にも、紅葉の種子なども同様で、綺麗にくるくる回って落ちてくる種子を集め、一つ一つ綿密に調べると、矢張りプロペラを作る上に大いに参考に成るそうである。科学技術の最先端を行く超音速のジェット機が、実はこう言う大自然の樹木や種子から学んで作られると言うのは、我々 日常生活にも大いに学ぶべき示唆が籠められていると思うが如何であろうか。
 

 

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