1998年6月 百尺竿頭一歩を進む

 
 修行の世界でよく使う言葉に”百尺竿頭に一歩を進め、絶後に再び蘇る”というのがある。これを文字通りに解釈すると、約三十メートルの竿の天辺まで上り詰め、更にそこから一歩を踏み出せということになる。当然のことながらそんな高さから飛び降りたら命はないが、そこにとどまっていることも死を待つことに変わりはない。そこで蛮勇を奮って一歩踏み出してみよ、そうすれば必ず死の底
より蘇ることができる。そこには従来までとは全く違った別世界が広がり、新しい生命の根源を手に入れることが出来る。ざっとこんな意味である。
 ある時テレビを見ていたらこんな画面が出てきた。名前は忘れたが、ある種の雁は聳え立つ断崖約百メートルの岩の窪みやわずかな草叢に卵を産む。やがて雛がかえり一週間もすると親鳥達は遥か眼下の海へ帰って行ってしまう。まだ産毛に覆われ、手のひらの上に乗るほど小さな生まれたばかりの雛鳥たちはこうして置き去りにされてしまうのである。
 これからこの雛鳥たちはどうするのだろうか。動物学者はきっと親鳥が戻って来て背中の上にでも乗せて下の海まで運んで行くのだろうと考えていた。テレビの画面を見ていた私も勿論そう思った。しかしその考えは間違いであることがこの映像で証明されたのだ。何とその小さな雛鳥たちは百メートルの断崖から次々に飛び降りて行くのである。勿論羽などまだ充分生えていないのだから、自分で羽ばたき飛ぶことなど全く出来ない。それでもまるで小石を放り投げるように飛び降りて行く。中には途中の崖の出っ張りに当って跳ね飛ばされるもの、或いは地面に直接叩きつけられるものもいて、約半数は死んでしまう。運良くふわりと茂った草叢に飛び降りた残り半分のものだけが生き残れるのである。しかしこれで助かったわけではなく、その草叢には次々に飛び降りる雛鳥を餌にしようと待ち構えている狐がいるのだ。すでに五羽も六羽も口にくわえた狐がなおも獲物を探し回って右往左往している。雛鳥たちは本能的なのだろうか、草叢から草叢へと身を隠すように、必死になって親鳥の待つ海に向って走り抜ける。その間にも狐たちは目敏く獲物を見つけ、容赦なく襲いかかってくる。こうして命からがらその難関を見事突破し、親鳥の待つ海に到達したわずかな雛鳥が初めてこの世の生命を得るのである。自然界とは何と苛酷なものだろうか。この時テレビを見ながら私の頭のなかに浮かんだのが冒頭の禅語の一節なのである。
 ところで我々人間の社会はどうであろうか。寺の過去帳を繰ると、昔は随分と乳幼児の死亡が目立つ。お葬式の半分ぐらいが生後二、三年の子供たちで占められている。何とはかない命だったことか。少し前までは人間もこの雛鳥たちと同じように生まれた時から様々な危険にさらされ、無事に成長するには多くの試練が待ち受けていたのである。しかし今日では医学の進歩や生活の向上によって、昔なら助からなかった多くの尊い生命が救われている。ではその後の人生は安穏として送れるかというとそうはいかない。今度は人間同志の生存競争が待ち受けているからだ。サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ…“という呑気な唄が流行ったことがあったが、終身雇用制、年功序列による賃金体系、出身大学による引き立てなど、従来伝統的に踏襲されていたこれらの我が国独特の習慣は既にないといって良い。厳しい経済情勢がそんな甘い体質を維持出来なくなってきたのである。確かにこれまでのシステムが猛烈社員をうみ滅私奉公を育て、それなりの存在価値を持っていたことは否定出来ないのだが、各企業共今やそんな呑気なことを言っている状況ではなくなったのである。これは当然と言えば当然のことだ。さっきの雛鳥たちを見よ、まだ産毛も生え変わらない、いたいけな姿でも、百メートルの断崖から飛び降りているではないか。厳しい天地自然の現実から人間だけが枠外にあって良い筈がない。生きるか死ぬかの瀬戸際まで追い詰められ、断崖絶壁から身を躍らせ決死の覚悟で活路を見出してゆかなければ、明日の命のないことを肝に命じるべきだ。あの雛鳥たちから百尺竿頭に一歩を進める勇気と生きることへの凄まじいばかりの執念を学んで頂きたい。
 ところで近ごろ気になるのは若者たちへの甘やかしである。それは結果として本来持っている生命体としての活力をわざわざ削ぎ落としていることに他ならない。私の師匠は何時も同情は最大の侮辱だぞ!″と言っておられた。可哀想だとか、慰めの優しい言葉を掛けるというのは一見親切のようでも実はこんな不親切なことはないのだ。”石中に火あり撃たずんば発せず″である。眠っている力
を叩きだしてやることこそが上に立つ者の役目なのである。
 

 

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