外で は木枯らしがぴゅーぴゅーと音をたてて吹き抜けていた。そしてこの母の言葉は冷たく闇の中に坐る私の心を奥底まで冷え冷えとさせるものであった。
さっきまでの浮かれた気持ちが一度にふっとんでしまった。それから布団に潜ってもまんじりともせずやがて夜が明けた。こうして二泊三日の帰郷は瞬く間に終わり、今度はすっかり悄気返って再び京都へ戻った。母は何と鬼のような人だろうか。そればかりが思われ頭から冷水をぶっかけられたような気さえした。
そんな苦い惨めなことがあってから十数年の歳月が流れた。私はひょんなご縁から図らずも郷里に近い鎌倉で小庵の住職になった。なるべく小さな寺で檀家も無い所をと考えていたので、当に望み通りの寺であった。というのも住職になったとはいえ、私の目的が修行を続けることに変わり無かったからである。ところが檀家が無いという事は寺にとってはそのまま無収入ということでもある。賛沢 をする積もりは毛頭ないが、住職になっても毎月決まった期間は岐阜の道場まで通う積もりであったから、せめてその費用だけは何とか捻出しなければならない。そこで考え出したのが托鉢だった。鎌倉市内を托鉢して回り電車賃だけでも得ようと思ったのである。それを聞いた兄は、「その位は心配しなくても良い。修行のために必要なのだから援助してやるよ。」 と有り難い申し出にほっとした のも束の間、母が横から口を出して、「それはいけない。お前はもう独立したのだから、幾ら兄弟でもそういう援助を受けてはいけない。自分のことは自分でやりなさい。」と言い出した。これはもっともなことで、兄にも家庭があり独立して生計を営んでいるわけだから、そういう兄を頼りにして自分の生活を考えるというのは確かに間違っている。なに、電車賃ぐらい知れたもの、何とか成るさ!と呑気に構えていたら、結局後になってみればそんな苦労はせずとも少ない乍らも収入が有って、何不自由なく修行にいそしむことが出来たのである。
入寺して間もなく兄の車に山程荷物を積んで母がやって来た。何事かと見ると、蒲団や枕、シーツに座布団、果ては鍋釜味噌醤油、箸や皿に至るまで所帯道具一式があり、それがぞろぞろと運び込まれた。母は 「お前が初めて世に出て独立したのだから、他の兄弟にもそうしてきたように、お前にも生活用具一式支度してきた。」 と言うのである。幾ら何もない寺といっても当面必要なものぐらいは揃っていたので、用意して来てくれたものは殆ど何も使わずに済んでしまった。し かし親元を離れ一人ずっと他人の中で生活してきた私にとって、それは久しぶりに味わう肉親の情の温かさであった。
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