2001年5月 国際化

 
 私は毎年夏、弟子のポールフリーマン氏の主宰する道場の会員に坐禅指導をするためイギリスに行く。その折り彼の案内で各地を訪ねる旅は私にとって、もう一つの楽しみとなっている。
 或る年スコットランドへ出掛けた。現地でレンタカーを借り、果てしなく広がる草原で山と湖の間を走り回ったことがある。人っこ一人居ない雄大な景観は圧倒される思いであった。何日目かのこと、行けども行けども家など一軒も見当たらない。そうこうしているうちにだんだんお腹が空いてきて、どこかに食堂はないかと探したが見当たらない。「こういう所に来るには弁当持参が原則だなー。」などと言って半ば諦めかけて運転してい
ると、突然広漠たる景色のなかにぽつんと一軒の小さなホテル兼レストランが見えてきた。「あった、あった!」喜び勇んで中に入ると、暖炉には赤々と火が燃え、冷えきった体と心も同時に温められ、ほっと一息ついた。
 さて早速注文ということになり、ポールがメニューを見ながら一つ一つ丁寧に料理の内容を説明しはじめた。それは延々と続き、途中二度ほどウエイトレスが注文を取りにきたが、彼はそれを一向意に介せず続けた。堪り兼ねた私は、「ウエイトレスが何度も来たし、お腹も空いていることだから、もう何でも良いから注文したら?」と言うと、「もし嫌いなものが出てきたら困るでしょう。そんなこと気にする必要は全然ありません。」とまたメニューの説明を続けた。私もこうなったらどうにでもなれと覚悟を決め終わりまで聞いた。ようやくのことで各自注文の品が決まり、どうせ警察の取締もあるまいとふんで、私はビールをぐいぐい飲んだ。
 この時ポールは「日本人は直ぐまわりを見て自分を合わせようとするが、この国ではそんなことは全く必要がないのです。」と言った。たしかにその通りで、何時だったかタクシーに乗ったら、ドライバーは九年前内戦を逃れスーダンからやって来た人だったし、今日のレストランの経営者もドイツから移住して来たという。その日泊まったホテルの主人はオランダ出身であった。ちょっと見回して
もこの国では世界中の人が入り交じって生活していることがよく分かる。ここでは様々な民族が固有の価値観を持って、ぶつかり合いひしめき合いながらも毎日暮らしているのである。そのためにいくつもの苦い思いや非効率も当然あるわけだが、それは仕方ないことだという前提で自然に受け入れている。一方泥棒もやたら多い。彼のバイクはほんの少々止めておくのにも鋼鉄製の頑丈な車止めと、更に鍵を必要とする。そうでもしないとたちまち持っていかれてしまう。勿論自動車に二重三重の盗難防止装置がついており、車にちょっとでも触ろうものならけたたましい音がでる装置があり、静かな街に何時までも響き渡るのにはほとほと迷惑する。つまりそこいらじゅう鍵だらけで、皆が十数個もの鍵をじゃらじゃらいわせながら腰に下げて歩いているのだ。そうしなければ物騒この上ない実情だからである。
 ところでよく部屋中所狭しと書類や本を散らかしているタイプの人がいる。整頓好きの人はこういう人を見て、こんなことでは何処に何があるのか分からなくなってしまうだろうと心配するが、当人はいたって平気で、「ばらばらに整頓しているんだ!勝手にいじらんといて。」などとのたまう。近年、日本国内でも地方によってはいろいろな国の人と同じ町内で住むケースが増えてきた。とたんに
もめ事がおきて、外国人だから駄目なんだ!というレッテルがはられ、反目し相手の価値観を断固として認めようとしない場合が多い。これでも分かるように日本の国際化″とは口先だけで、内実はそう簡単にはいかないようだ。
 またこんな例もある。以前イスラエルがパレスチナ問題で周辺のアラブ諸国から猛烈な非難を受けた。日本も外交上ゆるがせにできないと判断し、抗議の姿勢を明らかにした。早速大使館員が抗議文を書き、それをイスラエル外務省のレターボックスにそっと入れて帰って来ることとなった。イスラエル、アラブ双方の面子をたてたわけである。ところがイスラエルでは言いたいことは何事も直接言
うのが礼儀で、手紙は捨てて良いもの、つまり要らないものということになり却って失礼に当たるのだという。当然の結果日本は国際社会から猛烈な非難を浴びることになってしまった。
 こういう国家間のやりとり一つ見ても、民族によってものの考え方や価値観が如何に多様でその溝は深いかがわかる。しかしその違いを素直に認めあい、その上でお互いが主張し協調して行かなければならない。大変困難な道だが、貴の国際化のためにはこの認識が不可欠なのではないだろうか。

 

 

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