数年の後、そんなことがあったのも忘れかけていた頃、たまたまその方と一緒に旅行をする機会があり、方位についての話がでた。私自身は約十年もの長期に及んだ寺の大改築を終え、既に数年が経っており、改めて当時のいろいろなことを懐いだしながらこの話を聞くことができた。これは単なる迷信で片付けられるようなものでは無いかと感じたのである。土地には土地神(つちじん)がおり、 家には家の神様がいる。
近年、造成といえば大型機械が走り回り土を掘り返す。特に家の壊し方などは見るからに無惨で、摘み上げ薙ぎ倒し踏み潰し、あっと言う間に塵芥にしてしまう。ところが昔はそうではなかった。こつこつと人の手で屋根の瓦を降ろし、柱や棟の材木も丁寧に解体していった。壊す人も家人も共に″長い間ご苦労さん″という感謝の念をもって、その作業の一つ一つを見守ったものだ。その土地に住むということは土地に宿る神と良い関係を保ちながら、人間の方がお邪魔して住まわせてもらっていると考えるべきである。家にしても、元はどこかの山に生えていた木や土が多くの人の手を経て運ばれ基礎となり、家となり、そこで長期に渡って家族が苦楽を共にしてきたのである。だからもう決して単なる木や土ではなく、神が宿っていると考えるべきである。しかし重要なことは、だからといって神が遥か高いところにいて、家人を見降ろしているというような上下関係ではなく、両者は同等の場で、共に手を携えながら生活しているということである。誤解の無いようにもう少しつけ加えれば、ここで言う神とは人間そのものに内在する、自分を超えるもののことである。そう考えていったとき、私の心の中に自然と深い反省がわいてきた。
当時私の頭の中は如何にしてこの大事業を無事に成し遂げるかということで一 杯だった。そのための膨大な資金の調達や建物の設計、関係する全ての人達の合意をどう取り付けてゆくのか。また同時に行なわれる遠諱(おんき)行事など次々に解決してゆかなければならない問 題が山積していた。だから今にして思えば本堂や庫裏を壊すときも、大型機械が境内を傍若無人に走り回っていたときも、何か感じる余裕などなかった。ともかく予定通りにことが運びさえすればそれで問題なかったのである。
顧みれば、昭和二十年の七月の戦災により全ての伽藍が焼失して以来、再建の苦労は並大抵ではなかったに違いない。庫裏はある信者さんの好意によって移築されたものである。日本国中どこを見ても焼け出されて住む家もなかった当時、しかも大きな屋敷をそのまま移築するなどということは、どれだけ大変なことだったかと想像される。今回の工事で地面を掘り返したら、焼けただれた瓦が沢山出てきた。また前の本堂の土台に使われていたと思われる巨大なコンクリートの固まりが幾つも出てきた。しかし当時私の心の内には神の存在など全く無く、ただ目前の実利的なことばかりに追われる毎日であった。
今、偶然知人と方位のことを話しながら、あの時の私は矢張り間違っていたと気付いた。土地神や家に宿る神の声に耳をかたむけず、柱や壁、戸障子にしみ込んだ人の深い懐いを少しも汲んではいなかったからだ。ここでいう神の声を聞くとは自分を超える存在をどこかで感じ、今迄の私とは異なる深い水準で自分自身を知り、それを生きるということである。ある人がこれを自己実現と言っている。方位を見るというのは単なる物質的な側 面を見るだけではなく、それまで自分を支えてきた世界観をも打破し、新たな発見と創造をするということなのではないかと感じた
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