経緯はともかく私は期待に胸膨らませて出立した。ブラジルは何でも日本と反対の国である。日本での三月春先はあちらでは夏が過ぎて秋にさしかかるという頃、日中はゆうに三十度を越え日差しは強いものの朝晩は涼しく誠に快適な季節であった。サンパウロは標高八十数メートルの所にあるため高原の爽やかさである。空港には朝六時半に着いた。真っ黒に日焼けしたE氏が満面に笑みを浮かべて迎えてくれた。車で約一時間市内の高台にある二十三階建てのマンションの二Fフロアー全部が彼の家で、広々とした応接間に通されると、窮屈だった機内からやっと開放され、ほっと一息つくことができた。
先程何でも反対と言ったが、例えば時差が十二時間で日本のお昼はここでは真夜中の十二時となる。単一民族と多民族、先進工業国と農業国、資源の殆ど無い日本とああらゆる資源があるブラジル、面白いのは日本では河川は大抵内陸から海に向かって流れるが、ブラジルでは海岸線から内陸に向かって流れるということ。つまり国土の中央が窪んでいるということなのだろうか。風呂は夕方ではなく朝入る。尤も家庭でもホテルでも浴槽は無く全てシャワーであるが。これも年間を通じて温暖であるということからくる習慣なのだろう。またこれは朝食の時だけだがまずは豊富な果物が食べ始める。国土は日本の二十三倍、サンパウロ州だけで丁度日本と同じ広さだというから驚く。ブラジルの知識といえばサッカーの強い国、曾て日本から多くの人が移民した国、またコーヒーの国という程度だった。そう言っては何だが、普段はあまり日本ではニュースに登場しない国でもある。 言葉は曾てポルトガルの植民地だったことからポルトガル語、唯一覚えたのがオブリガード、これは有難うの語源。昔風な言い方なら、かたじけないとかあいすまんというところであろう。
サンパウロ市内に入ってまず驚いたのは家という家の入り口は二メートル以上の、見上げるばかりの鉄柵で全面覆われていることである。まるで動物園の檻の前を歩いているようだ。E氏のマンションもまず車から信号を出すと一つめの鉄柵が自動で開く。入ったのを確認するとすぐ鉄柵が閉まり、今後は次のシャターが開いてようやく中に入ることが出来るのである。よくライオンの檻などで餌を与えるために係の人が中へ入るのと同じである。こうしないと一つめの柵が開いているうちに隙を突いて中に潜り込む者が居るのだそうだ。油断も隙もあったものではない。治安の悪さはそれなりに承知はして行ったのだが、これには驚ろかされた。尤もこんな物騒に成ったのはここ十年のことでそれ以前はずっと治安も良く、夜なども結構自由に歩けたというのだ。では何故かくも悪くなってしまったかといえば、それは麻薬だという。これは大変深刻な問題で、特に若者が麻薬に冒され、そのために犯罪が急激に増加したというのである。日本でも近年同様の問題が言われてきているがこういう状況を見るにつけても余所ごとではない。
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