2005年2月 無力の価値
近年医学を取り巻く周辺の事柄が様々議論されるようになったことは大変良い事である。従来一般の者は医学について余分なことに口を出すな、というような雰囲気があった。インホームドコンセントなどという言葉も今や当たり前の時代となり、更にはカルテの公開なども一部では既に行われている現状を見ると、閉鎖的だった医学界そのものが大きく変わりつつあると実感する。そう言う変革の中の一つに末期医療がある。身体が病むということは同時に心も病むわけで、癌などで余命幾ばくもない人達が如何に安定した精神状態で尊厳ある死を迎えるかはこれもまた重要な医療の一つである。ここでは医者ばかりではなく心理学者や宗教家など他の分野の人達が連携プレイを保ちながら関わってゆくことが重要になってくる。
或る臨床心理士が周産期センターで関わった事例は誠に重要な問題を提起している。周産期センターというと一般には余り知られていないが、早産や難産の母子の為の医療機関である。そこで働いている医者や看護士さんは大変な緊張感の中で仕事をしている。ちょっとしたことで赤ちゃんが死亡したり重大な障害が残ったりし兼ねないからである。こう言う厳しい現場で臨床心理士として何かお役に立てないかと周産期センターの所長さんに相談したところ、「まあ、来てみても良いでしょう。」 と言われ出掛けた。医療現場に立つと赤ちゃんが危険な状態になるとアラームが鳴り、その度に医者も看護士さん達も一瞬の息抜きも出来ない。そういった大変厳しい現場に実際立ち会ってみると、自分は結局何の手助けも出来ず、むしろ邪魔者にすぎないのではないかとさえ思った。そんな中、ふと気付くと自分と同じ無力感≠ナ佇んで いる人がいた。それは赤ちゃんを産んだお母さんであった。自分で触れることも出来ずただ黙って見守るだけの全くの無力≠ネのである。
「あなたは何をしているんですか?」「実は私は臨床心理士という者で‥‥」そこで相談室に行き向き合うと、母親からは次々溢れるように言葉が出てくる。今まで言いたくても誰にも言えなかったことが一気に溢れ出てきたのである。自分への罪悪感、「あんな状態で産んでしまって‥」「今まで何か悪いことでもして、その崇りでは無いだろうか‥」等々、本当のところは個人の罪でも何でもない、致し方ないことなのだが、つぎつぎにそう言う言葉が出てくる。こういうときはすぐ慰めないのだそうだ。さりとて聞き流すのではなく、じっと心を込めて聞き、その悲しみ苦しみを受け止めるのが大切という。なかには、「あんな子は要らない‥」「自分の子とは思えない‥」というような否定的な言葉まで出てくる。しかしそこまで言ってしまった後には、「いや、赤ちゃんも生きようと頑張っている‥」「私と子供と一緒に大人になって行こう‥」など、だんだん肯定的な言葉が出てきて、親の方が急激に変化し、親としての責任を持って頑張ろうという姿勢になってくる。此処で重要なポイントは無力≠ェ 媒介となって心と心が触れ合ったということである。つまり無力″が有力≠ニいうことなのだ。
以上は河合隼雄著日本人という病″からの引用である。私はこれを読んで師家と雲水の関係を思った。修行者である雲水は入門と同時に公案を与えられる。しかしこの公案は、自分の親が未だこの世に生まれる前の自分を見てこいとか、両手叩いて声がする片手に何の声がすると言うような、とても常識では答えられない難問である。しかし一端問題を与えられれば、翌日からはその答えを朝晩必ず師家の前で提示しなければならない。雲水は何とか答えを出そうと必死になって工夫するが、毎回室内では師家から罵倒され如何に馬鹿者であるかを、嫌と言うほど思い知らされる。やがて半年一年と経つうちに挫折し絶望する。ではこの間、師家は雲水とどう向き合うのかと言えば、与えた問題についての本質的な部分には一切触れず、ただ黙っているだけなのである。こんな時下手な助言をすれば、かえって相手を迷わせ混乱さ せるばかりだからである。
では師家は傍観しているだけなのかと言えばそうではない。全身全霊を上げてじっと雲水を見つめ続けるのである。禅では絶対自力という。自らの力で悟ってゆく以外に方法はない。このときの挫折と絶望が大切なのである。道理や理屈を全て捨てきって、まっさらの自分に立ち返った時初めて、そこから本当のものが見えてくる。師家にとってもそれは嘗て自分が辿ってきた道であり、同行者として雲水の心とそっ と触れあってゆくのである。これは大変根気の要る仕事だが、しかし一人一人の雲水が苦しみの中から新しい世界を見い出してゆく、その喜びを共有できる点において最高の仕事だと感じている。
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