耳をすませば
 
 先日、新聞のコラムを読んでいたら、「耳をすませば」と言う題でこんな文章が載っていたので引用させて頂く。
  『ラジオをよく聴いているという人に「テレビは?」と聞くと、「見ません」とおっしゃる。なぜ?もう一度聞くと、「うるさいでしょ」という一言が返ってきた。テレビを消すと、ほっとすることがある。その感じを口にすると、その人は深くうなずいた。テレビとラジオでは特性が異なる。利用価値について意見が分かれて当然だが、最近、こんな体験をした。テレビの歌番組でナツメロが流れていた。歌はナツメロに限る、と思っているぼくには必見の番組なのだが、歌手が出てくるたびに、「老けたなあ」とか「やせたなあ」とか、「相変わらず派手だなあ」などと余計なことが気になって、肝心の歌に集中出来ない。で、目をつぶってみた。ものの数秒で歌に集中することができたばかりか、その歌がはやっていた時代模様や、当時の自分までよみがえってきた。以来、テレビの歌番組は目を閉じて聴いたりしているが、視覚と聴覚をフルに働かせることは難しいのか、こんな体験もした。高倉健さんが好きで、健さん主演の以前の名作「遥かなる山の呼び声」などは、ビデオでも何度も見ている。筋はもとより、健さんのセリフ、その時の場面も頭にきっちり入っているが、ある時、ビデオをかけたまま目を閉じ、耳をすましていて驚嘆した。なんと山田洋次監督は、映画の舞台となった北海道は根釧原野の牧場周辺の音をじつに丹念に収めていたのだ。

雨や風の音はもちろん、朝な夕なの小鳥やカラス、鳥や牛の鳴き声、馬のいななきなども収め、夏のヒグラシ、秋の虫の音と季節の音もぬかりなく入れていた。単に映像に目をやっていただけでは気付かなかった音の織り成す牧場の一日と、春夏秋冬の原野の移ろいを細やかに表現していたわけで、さすが山田洋次監督!とうなる思いであった。
 某大学の文学部で教えていたころ、授業中の学生たちに五分間目を閉じてもらいその間に気付いたことを全部書き出させたことがある。その一つ一つは彼ら自身の驚きと発見に満ちていて、体内の鼓動と生命の不思議や指のすきまを通る風まで書く学生もいた。現代人は視覚に頼り過ぎだと言われる。時には目を閉じ耳をすますひと時を持っていただきたい。呼びさまされる感覚にハッとされることもあるのではなかろうか。』
 皆さんは、もし「見る・聴く・話す」この内のどれか一つを失うとしたらどれを挙げるだろうか。私は即座に「見る」を挙げる。視覚から入る情報は確かに計り知れないものがある。しかし一方で失ったものも多いのだ。目で見たものに惑わされ、本質を見損ない、失敗した例は枚挙にいとまがない。わかり易く、たとえば恋愛結婚で、破局に至る不幸などは、この典型とは言えまいか。特に男の場合、見た目が良ければ中味も良いように錯覚を起こす。これがたいていは間違いで、決めつけるのは良くないかもしれないが、概して美人は性格が良くない。小さい時から廻りにちやほやされ、更に頭脳明断ならなおのこと、本人は増上慢になって、心の何処かに何時も「フン」と鼻に掛けるところがある。ではこういった女性は文字通り鼻持ちならないかと言うと、実際はそうとばかりも言えない。何故なら、視覚から入る情報が、概して最も優先する傾向にあり、為にその外の情報は遮断され、見損なうことになりがちだからである。私はそこで人と対するとき、何時も目を閉じることにしている。そうして耳に集中すると、喋り方、声の質、論理の明快さなど、相手の本質にダイレクトに迫ることが出来る。江戸後期の国学者、塙保己一は、突然明かりが消えて右往左往する人達に、「目明きとは何と不自由なものよ」と言ったそうだが、両目で確かに見届けたから間違いないなどと言うのは、大間違いの始まりだと知らなければならない。

  我々禅僧は常に坐禅を組む。姿勢を正し目を半眼にしてじっと心を澄ます時、見えてくるいろいろなものがある。目で見ていた為に返って見えなかった、心の内なる世界を見ることが出来るのだ。私の居室は三方を山に囲まれて、酷寒の季節以外は、何時もガラスを開け放ち障子だけにしている。すると季節の移ろいと共に虫の声、小鳥の囀り、風のざわめき、木の葉の舞い散るかすかな音などが、手に取るように聞こえてくる。そう言う世界に自分の身を置くとにより、深い森に潜む魑魅魍魎を感ずることが出来る。様々な命のうごめきを実感出来るのだ。
 私は最初に「耳をすませば」と言う文章を引用して、そこから広がる新たな世界の発見について指摘した。さらに、「視覚」は時に真実をくらますことにもなると申し上げた。目だけを頼らずに、耳をすませば自分の存在の根源をも知ることに通ずる。じっと目を閉じ、異世界と交流してみては如何であろうか。

 

 

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