はるか昔のことである。私が小学四年生の頃だったであろうか。ある夏の日の午後、畳にごろんとひっくり返って、一人でラジオを聞いていた。その頃の楽しみと言えば、子供向けのラジオドラマを聞くことだった。小さな洋品店を営んでいた両親は、朝から晩まで商売にかかりっきりで、我々子供の面倒なんぞみる暇などない。だから自分のことは皆自分でやる、これが我が家のきまりだった。ひとしきり連続ドラマを聞き終わると、寝転がったまま外を眺めた。窓からそよそよと心地よい涼風が部屋の中を吹き抜けた。「ああ、幸せだな〜」と感じた。しかし次の瞬間、「こんな幸せなことが何時までも続くはずはない。やがて人間は死んで行く。そうなればもう何もかも無くなって、この世に自分というものも無くなってしまう。」頭の中がぐちゃぐちゃになり、暗闇が心全体に広がっていった。こんな恐ろしい事は考えない方が良い。幾ら考えてもどうなるものでもない。忘れることだ、思わないことだと、頭を左右におもっきり振った。その後も、こういう思いが度々私を襲った。
時は経ち、今度は中学一年の頃である。当時兄と私は一部屋あてがわれ何時も机を並べて一緒に勉強していた。この時もある夏の午後だったが、私の机の前を一匹の蟻が横切っていった。じ〜っとそれを眺めながら思った。私たちは小さな同じ部屋で机を並べて同時に勉強している。ところが、蟻が机を横切るのを私は見ていても兄は見ていない。これは何と不思議なことだろう。
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