そこで何とか言ってみたいと思うものの、相手の方が何しろマジメで、非の打ちどころがないから、それに従うことになる。その時残った心のもやもやが溜まってくるためか、そのマジメ人間を何となく疎んじてしまう。ここでその人が、何だか自分の評判が悪そうだからと思って、なお一層マジメになるので、悪循環が生じてしまう。この場合がそれに中るかどうか解らないが、多分家庭内にあっても、Tさんは常に、この調子で子供に接しているのではないかと思われる。結果的にそれが、「ひきこもる」方へ、子供を追いやっているように見えるのだ。一方、日本人に比べて欧米人は冗談がすきだ。私の友人のP氏などもその一人で、いつもユーモアーのセンスに舌を巻く。日本人の駄洒落とはひと味もふた味も違う。厳しい局面でセンスのあるユーモアーと言うのは人間関係の潤滑剤である。これも一種の言葉の戦いだと感じたことがある。十年くらい前のことになるが、当時いつも滞在用に使わせて貰っていたハムステッドの家でのこと、目の前で夫婦喧嘩が始まった。彼らとは三十数年来、まだ恋愛中の頃からの知り合いなので、私の目の前でそう言うことになってしまったのだろう。ここで面白かったのは、いざ激しい口喧嘩になったら、日本人の奥さんは日本語で、P氏は英語でやり合ったことである。ますますエスカレートして、今にも掴み掛からんばかりの状況で、何とP氏はぽんぽんとユーモアーで応戦したことである。奥さんが目を剥いて喋りまくると、すかさずユーモアーを入れる。思わず奥さんが吹き出しそうになり、徐々に険悪な雰囲気もゆるんで、無事終了した。「ではこの辺でコーヒーブレーク!」。「ただいまは夫婦喧嘩を拝見させていただき、いろいろ勉強になりました。そこで質問ですが、どうしてああもぽんぽんとユーモアーが出てくるのか。」と、率直に聞いてみた。彼が言うには、イギリスではユーモアーのセンスのない奴はジェントルマンではないそうで、小学生の頃から学校の授業で訓練されるのだそうだ。なるほどと思った。P氏なども、どちらかというと生真面目なタイプで、ユーモアーとはおよそ縁遠い感じなのだが、これで理解出来た。昔アメリカ大統領の辞任にまで発展したウオーターゲート事件というのがある。
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