マジメ人間
 
ある時テレビを見ていたらこんな場面に出会した。それは高名な女性登山家T氏が、ご子息の心の病を克服するために努力されているという番組だった。息子さんはいわゆる「ひきこもり」で、お見受けしたところ高校生ぐらいの年齢である。番組の構成としては、親子で山歩きをしながら、徐々にひきこもりから、心を開いてゆく課程を追うという展開であったようだ。T氏は横を歩く息子さんに次々に語りかける。「あら、小鳥が囀っているわね〜。」、「緑が目に染みるようね〜、いいわね〜。」母親であるT氏は歩いている間中、間断なく息子さんに話しかける。この場合、テレビカメラが目の前で回っており、テレビ局の意図も十分承知しているわけだから、何とか山を歩き自然に触れながら親子の普通の会話を取り戻そうと必死になっている感じが手に取るように伝わってくる。彼女の場合は登山家であると同時にいわばタレントとしても様々な番組に登場している。何でもない人よりはづっと、テレビ局の意図をくみ取ることが出来るにちがいない。だから余計そうなってしまうのかも知れないが、「喋り過ぎ」が妙に気になった。これでは子供の出る幕はない。何でも先回りして全部喋ってしまうので、もうそうなると、こちらは喋る意欲も失せ、黙っているより仕方がない。「母さん勝手に喋ったら……。」となる。   真面目なのだが、他人に疎んじられる人には、こういうタイプが多い。なるほど至極ごもっとも、反論の余地はない、しかしもっともだと思いつつ、心の中で妙な反発心が沸いてきたり、不愉快になったりしてくる。

そこで何とか言ってみたいと思うものの、相手の方が何しろマジメで、非の打ちどころがないから、それに従うことになる。その時残った心のもやもやが溜まってくるためか、そのマジメ人間を何となく疎んじてしまう。ここでその人が、何だか自分の評判が悪そうだからと思って、なお一層マジメになるので、悪循環が生じてしまう。この場合がそれに中るかどうか解らないが、多分家庭内にあっても、Tさんは常に、この調子で子供に接しているのではないかと思われる。結果的にそれが、「ひきこもる」方へ、子供を追いやっているように見えるのだ。一方、日本人に比べて欧米人は冗談がすきだ。私の友人のP氏などもその一人で、いつもユーモアーのセンスに舌を巻く。日本人の駄洒落とはひと味もふた味も違う。厳しい局面でセンスのあるユーモアーと言うのは人間関係の潤滑剤である。これも一種の言葉の戦いだと感じたことがある。十年くらい前のことになるが、当時いつも滞在用に使わせて貰っていたハムステッドの家でのこと、目の前で夫婦喧嘩が始まった。彼らとは三十数年来、まだ恋愛中の頃からの知り合いなので、私の目の前でそう言うことになってしまったのだろう。ここで面白かったのは、いざ激しい口喧嘩になったら、日本人の奥さんは日本語で、P氏は英語でやり合ったことである。ますますエスカレートして、今にも掴み掛からんばかりの状況で、何とP氏はぽんぽんとユーモアーで応戦したことである。奥さんが目を剥いて喋りまくると、すかさずユーモアーを入れる。思わず奥さんが吹き出しそうになり、徐々に険悪な雰囲気もゆるんで、無事終了した。「ではこの辺でコーヒーブレーク!」。「ただいまは夫婦喧嘩を拝見させていただき、いろいろ勉強になりました。そこで質問ですが、どうしてああもぽんぽんとユーモアーが出てくるのか。」と、率直に聞いてみた。彼が言うには、イギリスではユーモアーのセンスのない奴はジェントルマンではないそうで、小学生の頃から学校の授業で訓練されるのだそうだ。なるほどと思った。P氏なども、どちらかというと生真面目なタイプで、ユーモアーとはおよそ縁遠い感じなのだが、これで理解出来た。昔アメリカ大統領の辞任にまで発展したウオーターゲート事件というのがある。

これは電話の盗聴に端を発したものだが、直接関わった人物を国会に呼んで、証人喚問が行われた。そこで委員達の前で盗聴の様子を再現するため電話機が持ち込まれ、実際どのような様子だったのかやれ!と言うことになった。その人はやおら受話器の所へ行き、真剣な顔つきで、「まさか、これは盗聴されていないでしょうね〜。」一同大爆笑となった。こういうとき日本人なら、「何をバカなことを言ってるか!冗談も休み休み言え!」となる。では日本での証人喚問の方が徹底糾明したのかと言えば、やたら「記憶にありません」の繰り返しで、何となくお茶を濁してしまう。欧米人の場合は自分の方がどんなに正しいと信じていても、相手の言い分も充分聞く。ぶつかり合いは厳しいが、相手の言い分に心を開く余裕がある。この余裕からユーモアーが生まれるのである。よくよく心すべきである。

 

 

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