こういう場合、次に小僧寺の跡取りになるか、全く別の寺に入るか、そのどちらかは、専ら師匠が心配するわけで、いずれにしても然るべき寺の住職となって、その後の新たな人生が展開する次第である。ところが、彼の場合、何らかの事情があったらしく、将来を一番案じて呉れるはずの師匠と旨くいかなくなった。幼年期に杖とも頼るべき親を失い、ここでも再び親を失ったのである。こうなると小僧は情けないもので、途端に路頭に迷うことになる。当時の心境について伺ったことはないが、さぞ心細い思いをしたに違いない。ところが捨てる神あれば拾う神ありで、親身になって行く末を心配してくれる先輩に救われ、或る寺の住職に納まることが出来た。私も丁度その頃同じ地域の寺の住職になったので、元気そうな顔をお見受けすることがあった。彼は少々アクの強いところがあり、酒が入ると更に拍車が掛かると言う性格的な一面もあった。そんなことが災いして、あれだけ長く修行をしていながら、やや不運な人生を歩まざるを得なかったのだと推測される。並の者ならこれでほぼ人生は決まってしまうのだが、何と急転直下、その地方では高名な大寺の住職になったのだ。人生とは全くわからないもので、まさかそう言うことになるとは思いもよらなかった。住職するや、永年の伝統を根底からひっくり返すほどの大改革を断行し、生き生きとした寺に生まれ変わらせ、現在も尚矍鑠として頑張っておられる。まさに水を得た魚のような働きぶりである。この人を見て思うのは、人には運命というものがあって、我々のような浅薄な者がとやかく言うよりも、もっと底知れぬ深い所で何かが動いているような気がする。彼の人生は常識的に言えば、最初に住職した時点で決まったようなものである。ところが実際はそうではなく、そこから更に輝かしい未来が展開したのだ。これは運が良かった言う他無いのかも知れない。
さて次に全く反対の例を知っている。この人は性格は実直そのもの、意志も硬く生真面目で、誰よりも抜きん出ていた。その修行振りは既に雲水の頃より注目を集め、門前のお百姓から僧堂の先輩方に到るまで、将来はきっと老師になって、大活躍をするに違いないと予感していた。ところがそれから十数年後、自坊に帰り、その後結婚をし、何処にでも居るような、何の変哲もない和尚になってしまった。これには驚ろかされた。鋼のような強い意志を持ち、「百万の敵あれど我行かん」というタイプの彼が、またどうしてそんな事になってしまったのだ。理由を挙げればいくつか思い当たる。老いた母親の面倒を自分が見なければならなかったり、一端は捨てるようにして出た寺でも、生まれ育ったところだから、矢張り特別な愛着があったのかも知れない。しかし、出家とは文字通り家を出ることであり、親を捨て寺を捨てるのは覚悟の上、そのために厳しい修行をするのである。事実彼はそれを誰よりも忠実にやってのけ、誰よりも頑張ったのだ。
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