最近大変親しくさせて頂いた人が癌で急逝された。私とほぼ同年齢の方だから、六十代の死は余りにも惜しい。企業家として大変忙しく活躍され、一方では芸術文化に造詣が深く、工場敷地内に美術館まで建てて、絵画展や音楽会などを定期的に催し、多くのフアンから喜ばれていた。また他方、ワイン通、食通でもあり、私はこの方にどれだけご馳走になったか知れない。嘗ての私はワインなど飲んだこともなく、ましてや味の良し悪しなど、皆目分からなかった。そんな私がワインについて結構味わえるようになったのもこの0氏のお陰である。加えてそれまで料理といえば日本食専門だったのが、外国の様々な味を教えて下さったのも矢張りこの方のお陰である。二人ともスポーツジムで運動する仲間だったが、顔を合わせると、「今晩一緒に食事はどう?」とよく誘ってくれた。これは私の食事が精進一辺倒なので、たまには栄養を付けてやらなければという配慮なのである。こうして考えてみると、0氏とは一緒に食事をすることから交流が始まり、世の中のこと万般に渡って、私の知らない世界を教えてくれたのである。
またこんな出来事もあった。年末、「今晩夕食を一緒にしませんか。」といつもの誘い。「有り難うございます。」と言って出掛けると、なんとその日は一家揃っての忘年会だった。ご家族団欒の中に私一人が割り込む格好になってしまったが、既に存じ上げている方々ばかりだったこともあり、すっかりうち解けて、お互い遠慮無くワイワイガヤガヤの大宴会となった。この時は鍋物だったが、何とこちらのお宅では全員が鍋奉行で、やれ野菜を入れろ、いやまだ早い、魚だ豆腐だなどと、まあ喧しいことこの上なし。その合間に、「飲め飲め!」と勧められているうちに、どれだけ食ったか飲んだか訳が分からなくなって、気が付いたら壁を伝ってトイレに行くほどの酩酊となった。その日は遅くなることも分かっていたので宿を取ってあり、兎も角タクシーに乗せられたところまでは覚えているが、その後の記憶はぶっつり途切れている。気が付いたら翌朝で、ちゃんと着物は脱いで布団を被って寝ていた。気が置けない0氏ご一家と食事を共にしたことで、それ以降は一層親しみ深くお付き合いさせて頂いた。今尚懐かしく想い出される。
ところで以前鎌倉で住職していた頃、四年間ほど本山の事務所に勤めたことがある。そんな折、京都の業者T氏がやって来て、事務的な遣り取りをした後、ぼつぼつ失礼と言うときに、たまたま管長猊下が事務所に顔を出された。今ではどういう切っ掛けでそうなったのかも忘れてしまったが、ともかく管長さんの発案で急遽三人で会食することになった。管長さんのおごりだから嬉しいようなものだが、偉い方との食事は肩のこることだし、大体そのT氏ともさして親しい仲でもなかったので、一層重たい気持ちになった。しかし逆らうことも出来ず、料理屋や足の確保など段取りをして、先方に到着すると、いざ食事が始まった。ところが管長さんは全くの下戸で、一応T氏を接待するという立前であったから、私がしきりに勧めることとなった。 |