長寿社会
 
 恥ずかしながら近頃の急激な老化に我ながら驚ろいている。片足立ちで足袋がはけなくなったり、やたらちょっとした出っ張りに蹴躓いたりと、悔しい思いの連続である。こんなこともあった。今年節電のために居室の周囲にゴーヤを植え、緑のカーテンを作った。「すくすく伸びて沢山花も咲きこの調子ならゴーヤが沢山実るだろう。私は嫌いだから食べないが、雲水にはゴーヤの味噌汁ゴーヤのおかず、今年の夏はゴーヤ尽くしにしてやるんだ!」と言ったそうだ。ところが数日後同じ話しをして、「私はゴーヤが大好きだから、今年の夏はじゃんじゃん食べるんだ。」と言った。すると、「まあ!この間は嫌いだと言って今日は大好きという、一体どっちなんですか!」と詰問されて仕舞った。本人の私はそんなことを言った覚えはまるでないのだ。

私は間もなく古希を迎えるのだが、万事この調子で、老化と日々格闘という有様である。 そんな折りテレビの番組で、近年画期的な老化予防の遺伝子が発見され、アメリカではそのサプリメントがバカ売れで、大きな話題になっているというのを知った。この方面ではアメリカが先端を行ってるようで、ある研究所で、赤毛猿に全く同じ餌を二十数年間、片方には百パーセント与え、もう片方には三割少なく与え続けた結果、人間年齢で七十歳くらいになって明らかな差が出てきたと言う。百パーセント食べ続けた方は、年相応に背中からお尻にかけて毛が抜け落ち、顔にも皺がよっていかにも老人顔である。一方、三割カロリー制限した方は、全身びっしりと毛が生えそろい、顔にも皺は殆ど無く艶々している。さてこの歴然たる差はどこから来たのかである。あらゆる方面から調べ上げた結果、サーチュイン遺伝子によると解った。人間の体にはミトコンドリアや免疫細胞という有益なものが、加齢と共に活性酸素を出したり、敵と味方の区別がつかなくなって、却って正常細胞を攻撃すると言うのだ。そう言うときサーチュイン遺伝子が酵素を作り出し、約百種類の老化の原因を押さえる働きをするらしい。しかし誰でも持っているこのサーチュイン遺伝子は普通の暮らしをしていたのではスイッチがオフの状態になっている。ある条件が揃うとスイッチオンとなるのだが、それは「飢餓」だというのである。約二十億年前、単細胞だった生物が進化の過程で幾たびか飢餓に襲われ、その都度絶滅の危機を乗り越えて生き延びてきた。その時獲得したのがこのサーチュイン遺伝子で、まさに進化の妙である。つまり「飢餓」状態になればスイッチがオンとなり老化を押さえ込む、それによって長寿が保たれるというわけである。そこで二十代から六十代まで四人の男性に、三割カロリー制限の食事を数週間続けて貰った結果、全員にこのサーチュイン遺伝子が働きだしたという結果が出た。つまり誰でも飢餓状態を作り出せばこの遺伝子が働き、確実に生活習慣病や糖尿病、認知症などを予防し、寿命を延ばすことが出来るのである。ところが現代のように飽食の時代は、これと全く相反しており、人間は欲望のままに食べれば食べるほど寿命は縮むと言うわけである。この法則が解ったからには、みな粗食をすれば、平均寿命百歳も夢ではないという。ところが食欲は避けがたい欲望で、飢餓状態で生きるのは並大抵ではない。長寿を取るか食欲を取るか、二者択一の崖っぷちに佇んでいる。食いたいものも食わずに長生きしても意味ないという人は、百パーセント食って年相応に老いた赤毛猿の道を選べばいいわけだ。しかしそこがアメリカ的というか、食いたいだけ食ってもサーチュイン遺伝子を働かせる、レスベラトールという新薬を開発した。まだ薬として承認されていないが、サプリメントとして既に出回っており、今やバカ売れだそうだ。やがて人類の平均寿命百歳時代も、そう遠くない話しだが、そうなれば人工の爆発的増加で食糧難になったり、老人の介護費用に莫大なお金が要るようになったりと、良いことばかりではない。矢張り年相応に老いて死んで貰う方が人類全体としてはバランスが良いと言うことになるのかも知れない。

 この話を聞いてふと僧堂の食事のことが頭に浮かんだ。朝食は麦粥に沢庵、昼食と夕食は麦飯に味噌汁と沢庵、ほぼ年間を通じてこの繰り返しである。一週間の大接心中、麦飯が白的になったり、おかずが一,二品つく事があるが、ご馳走と言ってもこの程度で、後はうどん斎が時々あるくらい、これなどは大ご馳走である。この食事で肉体労働が連日あるわけだから、よく体が持つものだ。特に朝食のお粥には参った。午前中の作業が始まる頃にはもう腹はぺこぺこ、臍(へそ)が背中に飛び出すのではないかと思うくらいだった。山家(やまが)の僧堂だったから、雑木を切り倒し薪を作ったり柴を作ったりと、結構厳しかった。途中茶礼があって一休出来るのだが、出てくるのはセンブリのような苦い茶に沢庵の千切りのみ、当に飢餓状態の日々だった。雲水時代、この食事にはもう少し何とかならないものかと思ったものだが、これが伝統なのだから勝手に変えるわけにはいかない。しかし今回のことで、飢餓こそ老化を防ぎあらゆる生活習慣病を防ぐ、最も良い食事だったと言うことが解って、目から鱗が落ちた。最先端の科学で解明されたこれらのことを、江戸時代の禅僧は既に実行していたのだから、これには改めて驚かされたのである。

 

 

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