聞くところに依れば絵画の場合何を描くかの画題が八割、後の二割が描き方、つまり画力だそうだ。彼の場合は画力についてはもう充分だから、後は何を描くかである。これで毎年苦労しているのだが、雑事に追われ、間際になってからバタバタと描き始めるというのが近年の傾向である。この点が大いに問題で、そこで格好な画題を求め海外にまで出掛けたり、国内でも狙いを付けた場所を何とか作品にしようと、繰り返し出掛けたりと、それなりの努力はしているのだが、まだまだば場当たり的なのは否めない。
そんなことを考えているうちに、ふと想い出したことがあった。それは以前にも既に書いたことだが、四国遍路を総て歩いて廻った時の事である。バスでも相当御利益が在るのだから、合計数十日も足を豆だらけして、雨の日も風の日もシシゴツゴツと歩いたのだから、どんなにか得るものがあると思われるか知れないが、殆ど何もなかった。「いや~、それはご謙遜でしょ!言わないだけで、本当は相当な御利益があったでしょう!」、などと考えるのはゲスの勘ぐりで、実際何もなかったのだ。私はそれで良かったと思っている。お大師さんの御利益はそんな薄っぺらなものではないと思うからである。ただ一つだけ解ったことがある。それは三十八番札所から三十九番延光寺へ向かう途中のことである。このコースは一端二十キロほど国道を逆戻りして、鬱蒼とした木々に囲まれた狭い山道に入る。しばらく曲がりくねって進むと小さな集落が見えてきた。三原村来栖というところで、およそ三十戸ほどの家が細い道沿いに並んでいる。右手には植えられたばかりの稲がなびく田圃が広がり、満々に張られた水面は、照りつける太陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。山間を通り抜ける涼しい風がそよそよと吹いている。ひとっこ一人居ない静まりかえった集落に差しかかた時、何百という鶯が一斉に鳴きだした。こんなに沢山の鶯が鳴いているのを今まで聞いたことがない。六月の強烈な日差しがジリジリ焼け付くような中、延々と歩き続けて来たところで出会(でくわ)したこの情景は、当にこの世の桃源郷を思わせた。しかしよく考えてみると、山間の風景も広がる田圃も鶯も、一つ一つを取り上げてみればさして言うほどのこともない。それがどうしてこんなにまで心に深く染み渡ったのだろうか。こういう経験は他にも幾たびかあった。十二番札所から山越えに見た鬱蒼とした孟宗竹の林、雨上がりの澄んだ空気の中、みずみずしい竹の緑は目に焼き付いた。また二十二番札所へ向かう道すがら見た川の水の何ときれいだったことか。三十八番札所へ向かう道中、眼下に広がる大岐の浜の白砂青松も印象深かった。七十七番札所から真っ直ぐ遙か彼方の霞の中、小さな五重の塔のシルエットに向かって歩いた山道はまるで天国へ向かうようだった。しかしどれを取っても、景勝地でもなければ、特別なところでもない。何の変哲もない四国の田舎の風景である。それが何故こんなにも深く心に染みるのだろうか。こう言うと四国遍路は、恰も極楽世界を経巡(へめぐ)るようなものかと思われるか知れないが、決してそんなことはない。歩き続ける道中は苦痛の連続である。そぼ降る雨の中、急峻な山道を、迷いながら行きつ戻りつ、道を尋ねることも休むことも出来ず、泣きたくなることも幾たびかあった。
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