諸法無我
 
地球上のあらゆる物質は私達の体も動物も植物も、全て分子から出来ている。分子はその物質の性質を決める最小の要素だが分子を分解して行くと原子の組み合わせによって出来ていることが解る。科学技術の発達によって、実は原子はさらに分割できる事が解ってきた。原子は約百種類有り、中心の原子核と、その周りを回る電子から成り立っている。原子核をさらに分解して行くと、陽子と中性子になる。つまりあらゆる物質は、もとを辿れば全て陽子・中性子・電子の三種類の粒子で構成されているわけである。これらを総称して素粒子という。しかし素粒子もミクロの終点ではなく、陽子と中性子はそれぞれ三つのクォークという最小の基本粒子で構成されている事が、最近明らかになってきた。このクォークの実体は波動エネルギーだという。エネルギーに形はないわけだから、つまりあらゆる物質は無であるということになる。現代物理学が追究してきた物質の究極の姿は、無から生じたとしか考えられなくなってしまった。これは般若心経の、「色即是空、空即是色」と言う一節と符合する。「色」は形あるも、すなわち物質であり、私達が見ている物質世界も、もとを正せば結局「無」と言うことになる。現代の最先端の化学で証明されてきたこれらの事柄を、二千数百年も前に、釈尊は悟っていたわけだから、もの凄いことである。

さてあらゆる生物は細胞から構成されている。その細胞を作っている物質はタンパク質とDNAという二つの有機物である。DNAはいわば家の設計図、タンパク質は家の建築材料にあたる。染色体を取り出しタンパク質を除いて水に浮かべると、切れ目のない細くて長い繊維のようなものになる。これがDNAで、長さは百八十センチ、これが人間の体に六十兆もある細胞の中に全てたたみ込まれている。一人の人間の持つDNA全体の長さは六十兆×百八十センチで、約一〇八〇億キロメートルにもなる。光の速さは秒速三十万キロだから、光で走っても五日もかかるという気の遠くなるような長さである。生物の遺伝情報はこのDNAのアデニン、チミン、グアニン、シトシンという四つの遺伝文字(塩基)で書かれている。これは螺旋状の二本の鎖に幾つもの塩基が向き合って繋がっていて、丁度ねじれた梯子のような形になっている。そこには私達が先祖から受け継いだ因縁、運命、寿命、などがきちんと書き込まれている。これらが分子生物学の目覚ましい発達によって解明された。つまり人間もブタもサクラも、たった四つの同じ遺伝文字で書かれ、その基本構造は同じであると言うことであり、生物はその根源に於いてただ一つなのである。しかし生物を作るに必要な要素と設計図は解っても、その通り組み立てても決して生命は生まれない。例えると、自動車を作るのに必要な設計図と部品が全てそろって自動車を組み立てることが出来ても、自動車は自分の意志で走ることは出来ない。走らせるには自動車以外の第三者、人間の意志が必要となる。この第三者とは神即ち宇宙の意志であると考えられる。
先程申し上げたとおり、人間の生命も他の生命も何ら本質的な差はなく、そればかりかあらゆる生命は四つの共通遺伝文字を通じて相互に関連し合い助け合って生かされていることも明らかになってきた。どの生物も他の生物なしでは生きて行けず、動物も虫も草も木も、命の源に於いて皆深い絆で結ばれている兄弟であり、生かし生かされているのである。言い換えれば、生あるものは四つの遺伝情報で繋がっていて、相依相関の関係にあり、これらが繋がり合い、宇宙生命全他の大きな流れの中にあるわけである。
 また宇宙の森羅万象はもとは一つでありながら二極に分かれ、陰と陽、東と西、有と無、物質と精神、動物と植物、互いに対立しながら補完しあって、はじめて存在できるのである。人類文明も二極対立があって、一定の周期で興亡を繰り返してきた。村山節氏の研究によると、有史以来東西の文明は八百年周期で交代を繰り返しきたという。現在が八回目で、その交代の最中にあたり、これまでは西洋文明の時代だったが、これからは東洋文明に交代しようとしている。
次ぎに人間の幸福度についてだが、所得と欲望のバランスである。幾ら所得を多くしてもそれ以上に欲望が大きくなれば、幸福度は下がる。例えば仲良しの二人が、ある時一方がオートバイを買って歩いている自分を追い越した。自分自身の条件は全く変わらないのに不幸になる。そこで何くそ!と歩いているもう一方が車を買ったとする。すると今度はオートバイの方がとたんに不幸になる。従ってどこかで足(たる)を知るという自制心を持たなければいつになっても幸福にはなれない。物と心のバランスを如何に取るかが人間の生き方と言うことになる。

 私は最初にあらゆる物質は究極まで突き詰めて行くと「無」だと言うこと、また全ての生物はその根源に於いて一つであり、深く結びついていること、東西文明は八百年周期で交代していることなどお話ししてきた。ここで重要なことは、今までのような対決と競争から、共存と協調への大転換が求められていることである。これは人類存亡に拘わる事柄であり、改めて共生の意義を地球規模で考える必要があると思うのである。

 

 

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