最初から暗い話ばかりで恐縮だが、人間誰でも老齢化に伴う障害は嫌でもおうでも引き受けて行かなければならない。最近長年お世話になった知人が突然ガンに冒され、深刻な状況が続いている。あんな良い和尚さんがどうしてこんな業病で苦しまなければならないのかと思うと、世の中の理不尽さに腹が立ってくる。そんなことで落ち込んでいたとき、ある人から「QOL」をご存じですかと言われた。クオリティーオブライフ、その人がそれで良いと思えるような生活の質と言うことだそうだ。つまり不快に感じることを最大限に軽減し、出来るだけその人がそれで良いと思えるような生活が送れるようにすることを目指す医療の考え方だそうだ。今の私のように、病気は加齢によって生活に制約が出来たり、苦痛を伴ったり、その人らしく生活が出来なくなってしまうことがある。また知人のように抗ガン剤などの治療が原因でそれまでの生活が出来なくなる。そんな時患者自身の人生観や価値観を尊重して、その人がこれで良いと思えるような生活をできるだけ維持することを配慮した医療である。たとえば抗ガン剤などにしても、激しい副作用で苦しみ続け、延命効果はそれほどでもない場合、果たしてその治療法は正しいのだろうか。次々に新薬が開発され、そのたびに画期的と騒がれても、投与した人と投与しない人との生存の差はほとんど無いという。加えて副作用による苦痛を考え合わせると、有効なガン治療薬とはとても言い難い。つまり生活の質を下げてまで僅かな延命をはかっても、それが本当に幸せなことなのだろうかと疑問を持つ。
冒頭私は身体はガタガタ心臓もガタガタで、お先真っ暗だと言ったが、人間年をとれば誰でも若い頃のようなわけには行かぬ。どこかに身体的障害を背負って行き続けなければならない。さらに脳の老化も著しく、先日脳のMRI検査をしたら、脳が萎縮していると言われてしまった。「先生こんなんで大丈夫ですか?」と言ったら、「年相応ですな!」で片付けられてしまった。何だか慰められているようなそうでないような、喜こぶべきか悲しむべきか分からなくなった。誰でも加齢による心身の衰えは分かっているつもりなのだが、意識の上では何時までも溌剌としていた昔のイメージが残っていて、現実とのギャップに苦しむ。そこでまず自ら我が身の老化を知ることが一番で、それに沿って人生観や価値観を年相応に変えることである。でなければ老いが進めば進むほど我が身が哀れに見え、暗い気持ちになってしまう。
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