クオリティーオブライフ
 
 昨年の秋頃から急に立ち居振る舞いに不自由を感ずるようになった。私は日常座卓を机にして、単布団に坐禅を組みながら、書き物をしたり事務的な仕事をしたり本を読んだりと、部屋にいるときは殆どこの姿勢で過ごす。必要に応じて物を取りに行ったり、捜し物をしたりで、立ったり坐ったり頻繁にあるのだが、何の不自由も感じずに今まではやってきた。ところがその長年の習慣が非常に億劫になってきた。初めは両腿が立ち上がるたびに酷く痛む。後を追うようにして左股関節と膝が痛み出し、次いで右膝へとすすみ、立ち上がる度に机に両手で踏ん張り勢いを付けなければならないように成った。仕方なく机は脚を継ぎ足して貰い椅子用に改良した。一応それで当面の不自由さはなくなったのだが、これでは禅堂で坐禅を組むことも出来ず、朝晩の参禅を聞くことも出来なくなった。だからこちらも椅子で代用している有様で、こんなことでは師家失格である。近くに良い中国鍼灸医があると紹介され通って治療を続けているのだが、まだはかばかしい効果はない。これだけでも相当意気消沈で心は暗いのに、この間夏末大接心(げまつおおぜっしん)中、夜禅堂で坐っている最中心臓が踊り出し、救急車でハートセンターへ運ばれた。心はますます落ち込むばかりで、接了になっても翌日心は全く晴れなかった。

 最初から暗い話ばかりで恐縮だが、人間誰でも老齢化に伴う障害は嫌でもおうでも引き受けて行かなければならない。最近長年お世話になった知人が突然ガンに冒され、深刻な状況が続いている。あんな良い和尚さんがどうしてこんな業病で苦しまなければならないのかと思うと、世の中の理不尽さに腹が立ってくる。そんなことで落ち込んでいたとき、ある人から「QOL」をご存じですかと言われた。クオリティーオブライフ、その人がそれで良いと思えるような生活の質と言うことだそうだ。つまり不快に感じることを最大限に軽減し、出来るだけその人がそれで良いと思えるような生活が送れるようにすることを目指す医療の考え方だそうだ。今の私のように、病気は加齢によって生活に制約が出来たり、苦痛を伴ったり、その人らしく生活が出来なくなってしまうことがある。また知人のように抗ガン剤などの治療が原因でそれまでの生活が出来なくなる。そんな時患者自身の人生観や価値観を尊重して、その人がこれで良いと思えるような生活をできるだけ維持することを配慮した医療である。たとえば抗ガン剤などにしても、激しい副作用で苦しみ続け、延命効果はそれほどでもない場合、果たしてその治療法は正しいのだろうか。次々に新薬が開発され、そのたびに画期的と騒がれても、投与した人と投与しない人との生存の差はほとんど無いという。加えて副作用による苦痛を考え合わせると、有効なガン治療薬とはとても言い難い。つまり生活の質を下げてまで僅かな延命をはかっても、それが本当に幸せなことなのだろうかと疑問を持つ。
冒頭私は身体はガタガタ心臓もガタガタで、お先真っ暗だと言ったが、人間年をとれば誰でも若い頃のようなわけには行かぬ。どこかに身体的障害を背負って行き続けなければならない。さらに脳の老化も著しく、先日脳のMRI検査をしたら、脳が萎縮していると言われてしまった。「先生こんなんで大丈夫ですか?」と言ったら、「年相応ですな!」で片付けられてしまった。何だか慰められているようなそうでないような、喜こぶべきか悲しむべきか分からなくなった。誰でも加齢による心身の衰えは分かっているつもりなのだが、意識の上では何時までも溌剌としていた昔のイメージが残っていて、現実とのギャップに苦しむ。そこでまず自ら我が身の老化を知ることが一番で、それに沿って人生観や価値観を年相応に変えることである。でなければ老いが進めば進むほど我が身が哀れに見え、暗い気持ちになってしまう。

 七十五歳以上の高齢者を対象に聞き取り調査をしたところ、健康が最大の関心事で、日々の意識や関心の多くが自分自身に向けられ、その結果、「自分のためになること」に時間と費用を費やすという。さてどのような最期を迎えるか、終末期の状態や過ごし方に最大の関心が寄せられ、認知症になってしまうのではないか、つらい闘病生活があるのかなど、晩年生活自体に不安を持っている。こういう現実を見てくると、年相応にそれで良いと思えるような生活の質を維持するというのはなかなか難しい。最初に身体はガタガタ心臓もガタガタでお先真っ暗と言ったが、そのガタガタを当然のこととして引き受け、その中で折り合いを付けながら、上手に老いた自分と付き合って行く。物事の根本原因は敢えて追求せず、現れた現象に沿って緩和ケアーしながら、幸せはこんなものかなで対応してゆこうと思っている。生命の質・人生の質は自分の価値観をしっかり持って、分相応を見極めて生きることではないだろうか。

 

 

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