なぜ学ぶことが必要なのか
 
 現在の大学の現状は誠に厳しいものだそうで、少子化により子供の数が激減し、一方大学の数は増えたために定員に満たない大学が一杯あるそうだ。事実そのために閉校せざるを得なくなったり、或いは窮余の策として合併したりと、生き残りを賭けて必死の努力をしているという。今や入学する子供の方が大学を選別する時代になったのである。先日もある大学の学長さんと話していたら、学生数が定員に満たないというのも大変なのだが、途中退学する学生の数の多さも深刻な状態だという。そのため長期欠席者には大学の方から呼びかけ相談に乗ったりと、専門に指導する教官が居ると言う。嫌ならやめとけ!とばかり言ってられないのが現状だそうだ。ちょっと昔なら、大学へ行きたくとも行けずに、日中仕事をしながら夜大学で学ぶ者も沢山居た。昼間一人前に働いて、普通ならくつろぐ時間に、そこから更に大学に通うのだから、その苦労は大抵ではない。

ある清掃会社の社長さんが大学からの依頼で教室の清掃を請け負った。人っ子一人いない教室に入りいざこれから仕事と言うとき、教室の黒板を見た途端に滂沱の如く涙が流れたそうだ。この社長さんは極貧の家庭に生まれ、中学を卒業すると同時に働きに出たという。長男の自分がそうしなければ弟や妹を学校に遣れなかったからである。必死に働き何とか兄弟を路頭に迷わせることもなく、事業も順調に発展し、小さいながらも清掃会社の社長になることが出来た。そんな時大学からの依頼で清掃を請け負い教室に入った途端目にした黒板に、大学で学ぶ事が出来なかった無念さが一気に吹き出したのである。この話を聞いて思うのは、嘗て貧しかった日本では学びたくとも学ぶことが出来ずに臍を噛む思いをした若者が一杯居たのである。それに比べて、何の苦労もせず親に寄りかかってのんべんだらりと何となく大学に入り、学問に対する情熱も興味もなく、まるで四年間はフリーで遊べる期間ぐらいに思って入学する。だからちょっと辛いことがあったり頑張らなければならないことがあると、途端に嫌気がさして、「何も大学に入りたくて入ったわけでも無し…」、てな具合で簡単にやめてしまう。魂の抜け殻のような若者がこの調子で増え続けたら将来日本はどうなってしまうのか危惧される。
さて鳥取県のある高校では毎年課題図書を決めてこれを読み、小論文の指導を行っている。その上で実際、著者を高校に招いて生徒と対話する場を作っているという。これまでにも精神科医の大平健氏、歴史学者の阿部謹也氏、評論家の小坂逸郎氏、作家の猪瀬直樹氏等々、そうそうたるメンバーを招聘している。その高校から生物学者の福岡伸一氏が講演を依頼され出かけた。以下はその折りに話された内容の抜粋である。  『さて講演会では「なぜ学ぶことが必要なのか」と言うテーマで話した。学校で勉強など、実社会で体得する直感や経験則の方が生きていく上でずっと有効ではないか。いやいや違う。嘗て自分も高校の頃同じ疑問を持ったことがあるが、ようやく最近になって、少なくとも次のようなことが言えると思うに到った。「私たちを規定する生物学的制約から自由になるために、私たちは学ぶのだ」。それはこういうことだ。私が収集した映像の数々をみせた。虹のスペクトルは連続して決して七色に見えないこと、本来ランダムな文様に、様々な人面がみえてしまうこと。人面昆虫や人面写真の実例など、これらは脳が勝手にパターンを作っている例証である。つまり私たちが今、この目で見ている世界はありのままの自然ではなく、加工されデフォルメされているものなのである。デフォルメしているのは脳の特殊な操作である。これは何も視覚に限ったことではない。本当は無関係な事柄の多くに因果関係を付与しがちである。なぜだろうか。ことさら差異を強調し、わざと不足を補って観察する、あるいはランダムに推移する自然現象を無理にでも関係付けすることがことが、長い進化の途上、生き残る上で有利だったからだ。世界を図式化し単純化できるから。

しかしこれは生存自体が唯一最大の目的だったときの話。今や私たちの目的は、生存そのものではなく、生存の意味を見つけることに変わった。ところが一端身につけた知覚や思考の癖はしっかり残っている。ヒトの思考が見出した「関係」の多くは妄想でしかない。脳は対数的に増えて行くもの、振動しているもの、変化しながら動くものをうまく捉えることが苦手である。しかし進化は同時に自由への扉も開いてくれている。脳はほんの僅かしか使っていないといわれるが、実はそれは世界の有り様を「直感的にしか見ていない」ということである。世界は私たちの気が付かない部分で依然として驚きと美しさに満ちている。「直感に頼るな」ということである。直感が導きやすい誤謬を見直すために、あるいは直感が把握しずらい現象へイマジネーションを届かせるために、我々は勉強を続けるべきなのである。それが私たちを自由にするのだ。』

 

 

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