臨済松を植ゆ
 
 瑞龍寺の参道には松の木が植えられている。京都の臨済宗の各本山でも庭は松の木を植える。これにはいささか因縁がある。それは「臨済栽松」の話に依るのである。
 『師、松を栽うる次(つ)いで、黄檗問う、「深山裏に許多(そこばく)を栽えて、什麼(なに)をか作(なさ)ん」。師云く、「一つには、山門の与(ため)に境致と作(な)し、二つには、後人(こうじん)の与(ため)に標榜と作(な)さん」。道(い)い了わって、钁頭(かくとう)を将(もっ)て地を打つこと三下す。黄檗云く、「然(しか)も是(かく)の如くなりと雖も、子(なんじ)已に吾が三十棒を喫し了われり」。師、又钁頭を以て地を打つこと三下し、嘘嘘(きょきょ)の声を作す。黄檗云く、「吾が宗、汝に到って大いに世に興らん」。』

 臨済宗の宗祖臨済禅師(?~八六七年)の言行を弟子が記録した「臨済録」の中の臨済栽松と言われる一節である。臨済禅師は中国唐末期の人。凡そ五十年前、臨済禅師千百年諱法要が、京都の東福寺で行われ、また全国の雲水五百余名が集まって記念の大接心をしたことがある。私は僧堂修行に入って間もない頃で、俗に言う東福寺の千人禅堂で坐らせて貰った。世の中にこんな大きな禅堂があるのかとびっくりし、一辺に五百人以上の雲水が一つの建物の中で坐禅を組み寝起きしたのだから、嘗てない良い経験だった。食事がこれまた大変で、大方丈で全員が集まり食事をするのだが、壮観と言うほかなく、一回一回の食事が無事終わるだけでも容易なことではないと感じた。中国の古い書物の中には五百人・千人の雲水が一つの道場で修行していたと記録されているが、こんな状態でまともな修行が出来るのかしらと思ったものである。
さて話をもとに戻して、現在臨済寺は石家荘の駅からバスで三十分ほど行ったところに在る。農家の家々が固まって集落をなし、周囲は畑が延々と広がる中にぽつんと建っている。これも近年日本の臨済宗からの支援で建てられたもので、以前は八角九層、約三十メートルの粘土と木で作られた古ぼけた塔が在るだけだった。二,三年前にお参りさせて頂いたのだが、周囲は立派な土塀で囲まれ、仏殿・鐘楼・庫裡・宿舎などが整備され、小さいながらも整えられた寺になっていた。そもそも中国に仏教が伝わったのは後漢の時代、西域僧安世高によって伝えられたと言われている。実際にはもっと前に、西域地方を通って徐々に入ったようである。大勢の僧達によって教典がインドからもたらされ漢訳された。しかし一度に多くの仏典が漢訳されたので、一体どれが釈尊の真意で、どれが方便なのか、また教理の深浅はどうなのか、それらを盛んに研究するようになった。隋・唐の時代になると、この中から種々の宗派が生まれ、隆盛を極めることとなる。天台宗・法相宗・華厳宗・真言宗・浄土宗・律宗などである。特筆すべきはこれらの宗派が最初から異常なまでに国家権力と結びつくことによって栄えたと言うことである。
しかし唐の六代、玄宗皇帝のとき、安禄山の乱で国力が落ちると、天台・華厳・法相・真言などの諸派は急速に衰え、さらに玄宗より九代の後、武宗は仏教を徹底的に弾圧した。壊された寺は四萬四千六百余ケ寺、還俗させられた僧尼は二十六万人余、没収された田畑は数千町歩、各宗派は殆ど壊滅してしまった。この激動期を生き残った宗派は浄土宗と禅宗だけだった。この時衰微した宗派は学問的要素が強く、王室の保護のもとに発展したのに比べ、浄土・禅は民衆に根を下ろした実践的な宗派だった。特に禅は王室などの権力者は全く無縁なところで、教典に依らず寺に依らず、「教外別伝」「以心伝心」の宗旨をもとに、自らは頭陀行(托鉢して修行すること)に徹し、法を実践した。臨済禅師はこのような時代に生きた禅者である。

 ある日、一山総出の普請日、臨済禅師は松の木を植えた。そこに黄檗禅師が出てきて、「ここは山深いところ、松や杉が一杯茂っている。何の必要があって苗を植えるのか」。と言うと、将来この木がどんどん大きくなって道場に相応しい幽邃な境地とするため、また二百年三百年後、大樹になったこの松が人々の目印になるためと答え、トントントンと三回大地を叩いた。さてこのトントントンは何を言おうとしているのだろうか。これは臨済禅師の法を思う心の表現である。「そうは言うがお前さんもわしの三十棒で一人前になったではないか!」。臨済はまた三回大地を打った。「そんなこととっくに忘れてしまったわい!」。
臨済禅師は一鍬一鍬、全身全霊を傾け黙々と作務に精だし、やがて植えた松はすくすく育ち風雪に耐えて大樹と成り、年を経て老木になっても生き続けることだろう。禅の末永い隆昌を願い、法が益々栄えるように後世への思いの込められた栽松なのである。「禅宗もお前さんの代になれば、もっともっと隆盛になるだろう!」と言って、黄檗は帰っていった。弟子臨済の慧眼に黄檗も大満足し、この問答、無事一件落着となったのである。

 

 

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