日本人の死生観
 

 知人で以前ご両親が亡くなられたのを切っ掛けに、近くのお寺に墓地を取得、立派なお墓を建てられた方がいる。いずれ自分もそのお墓に入り、後は息子に守って貰うというわけである。月日が経って最近、頼りにされていた奥さんを亡くされた。二人きりの穏やかな日々は突然の不幸で幕を閉じた。齢八十後半でこの事態には堪え難かったに違いない。しかしご長男が居られ、いまは少し離れたところで家庭を持っているが、後のことは任せられると安堵されていた。ところが何とそのご長男も、まるで後を追うように亡くなってしまった。人生の最晩年にこのような理不尽な目に遭うとは、この世に神も仏もないと言いたくなる。ご長男の子供さんは娘さんばかりだから、大切なお墓も、後を守ってくれる人は居なくなった。先祖代々未来永劫守って欲しいという願いは儚(はかな)くも露と消えたのである。身近にこういう現実を目の当たりにすると、先祖代々のお墓に対しても、また人間の死に対しても、もう一度考え直してみなければならないのではないかと思った。

 さて近年、日本人の死生観は激変してきたように思われる。この最大の要因は長寿化である。嘗て人生六十年と言われ、老後といっても退職後せいぜい十年前後、だから同居している息子や娘が親の面倒を見るのは当たり前だった。ところが九十才まで生きるかもしれないとなると、そもそも人生設計がまるで違ってくる。端的に言うと死よりも老後の方がより深刻な問題になった。ほんの少し前まで、六十才と言えば立派な老人で、特に早世という感覚はなかった。俳人松尾芭蕉は五十一才で亡くなっている。芭蕉翁などと言うが、今時ならまだ働き盛りの壮年期である。夏目漱石が四十九才で亡くなっているというのも愕然とする。現在、こうまで長生きになると、そのための蓄えはどうする、病気になったら誰に面倒を見て貰うのか等の難問が重くのしかかってくる。社会形態や家族形態の変化もあり、弔いの意味や宗教の役割も改めて問い直されてきた。現代はそういう時代になってきたのである。
最近今上陛下が自分は土葬ではなく火葬にして欲しいと言われたそうだが、平安時代の天皇は火葬が少なくなく、鎌倉時代になっても天皇は崩御すると火葬されたようだ。そもそも一般庶民が先祖の墓を建てるというのは、江戸時代に入ってからで、それ以前はどうしていたのかというと、身分の低い人たちは、単に捨てていた。鎌倉で言えば由比ヶ浜、京都で言うと鳥辺山や加茂の河原に、死体がごろごろ山のようだったと言われている。中世では摂関家ですら自分の先祖の骨がどこに埋まっているのか知らなかったらしく、別にある詣り墓で追善供養をする。つまり骨には興味がないのである。以前ブータンを旅行した折、お寺の門前の土産物品屋にお金を入れる器として人間の頭骸骨を輪切りにして使っていた。また大腿骨をたて笛として売っていた。これなどを見ても解るように、日本で骨に大変執着するようになったのは比較的新しい信仰ではないかと思われる。たとえば中世、大飢饉とも成れば数万人規模で死ぬわけだから、鴨川の河原に死体が溢れていたという。そこを野良犬がうろうろすると言うすさまじい光景が当時の日常だったわけである。平安末から鎌倉初期に掛けて神社の記録に、神聖であるべき境内に犬が人間の手や生首などをくわえてやって来た。穢れたから清浄な状態に回復するための資金が欲しいと、朝廷に申し出たという記録がある。しかし鎌倉中期以降になると、放置された死体が病原菌の巣となり疫病の源であることが解ってきて、死体を埋める衛生感覚が生まれた。特に神道では穢れを恐れるので、出来るだけ遠ざけようとした。これが姥(うば)捨てへと繋がって行くわけである。では今日の葬式仏教と言われる形態はいつ頃から始まったのであろうか。死体を弔い、死後の安寧を祈るというのは、仏教本来の教えから外れたもので、仏教の世界観から言えば、死体そのものには何も意味はない。仏教の教えは輪廻を断ち切って成仏することだから、なぜ先祖を丁重に弔うと言うことに繋がったのかよく分からない。そこで考えられることは、平安末期の末法思想の広がりと関連していると思われる。中でも「往生要集」は大きな役割を果たしてきた。この中で地獄の描写が極めて詳細で、こんな所へは絶対行きたくないと思わせる。

どうやったら極楽往生できるか、そこから死を迎える新しいシステムが生まれた。仲間が死にそうになったら、皆で念仏を唱え往生を助けた。これが日本人の死生観の一つの原型となったのである。やがて形作られてきた村落共同体に取り込まれ、仏教との関係を確立させ、江戸幕府の統治システムに組み込まれた。それが「家」となり、庶民の間でも家の永劫のシンボルとして先祖代々の墓へとなっていった。こうして日本人の死生観、仏教との関係は江戸期に確立した。近年葬儀の簡素化が言われるが、これも長寿化と深い関係がある。九十才にも成ると既に社会関係が殆どなくなり、自然家族だけの葬儀になる。村落共同体も解体しつつあり、現代は個人として死ぬと言うことになったのである。

 

 

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