仏頭の来歴
 

 東京国立博物館で国宝興福寺仏頭展が催された。以前も興福寺展で阿修羅ブームというか、あの童顔の像がまるでアイドル並みの人気となり、長蛇の列だった。どういう訳か、美しい仏像に目がない女性が多い。モデルで活躍されているはなさんも、仏像大好き人間と聞いたが、生々しい人間より、崇高な美を感ずるのかもしれない。これも仏教への入り口の一つだから、それを切っ掛けに、より深い精神世界に分け入って欲しいものだと思う。私も気の向いたときにはちょくちょく奈良へお気に入りの仏像を拝顔に出掛ける。
あの阿修羅像も興福寺国宝館に行けば、ほぼ無人の館内でゆったり拝することが出来る。個人的には真冬の人っ子一人居ない室生寺の金堂に祀られている十一面観音菩薩立像の前で、じっと佇むのが好きだ。このような次第で、それぞれお好みの仏さんにお目に掛かって心癒やされればそれで充分なのだが、仏像によっては深い歴史を物語るものもあり、その経緯(いきさつ)を知ると仏像の味わいも違ってくる。そんな興味深い文章に出会したので、引用させて頂く。

 『先日上野で開催されていた興福寺仏頭展を見てきた。興福寺の仏頭はもう何度も現地で見てきているので、頭の中にあのイメージがガッチリある。しかしたまたま日本経済新聞の文化欄で、黒田康(しず)子さんの、「仏頭の目覚め 見届けた夫・戦前の興福寺修理中、五百年ぶり再発見に立ち会う」、を読んでこれは行かねばと思った。黒田さんのご主人は、五百年近く行方不明になっていたあの仏頭を、昭和十二年に再発見したのだ。本尊薬師如来の後ろの板をはがすと、台座の下に四隅の柱と四つの支柱に守られた小空間が現れた。内部にあの仏頭があった。翌日の検分で、それが平安末期に興福寺にやって来た山田寺由来の仏像の頭部であることがわかった。異例の早さで国宝に指定された。
 何故この仏像が特別視されたのかと言えば、その美しさもさることながら、その由来とその後の数奇な運命である。この仏像が生まれた背景には古代史上有名な事件、大化の改新の蘇我入鹿暗殺事件がある。事件の主人公は蘇我倉山田石川麻呂、蘇我家の傍系の一族で、蘇我馬子は祖父、蘇我蝦夷は伯父、蘇我入鹿は従兄弟という関係である。大化の改新はよく知られるように、蘇我氏の専横なふるまいに怒った中大兄皇子と中臣鎌足が、宮中で蘇我入鹿を斬り殺し、クーデターを起こした事件である。このクーデターに蘇我家の側から参加したのが石川麻呂。傍流の石川麻呂は、蘇我本家とかねて対立関係にあったので、中大兄皇子から、クーデター計画をもちかけられると、喜んで参加した。石川麻呂は本番でも旧知の蘇我入鹿の警戒心を解かせ、油断させるという重要な役を演じた。その功により、クーデター後の新政権では、右大臣として政権中枢に入った。しかし、しばらくして石川麻呂の異母弟が、中大兄皇子に、兄は謀反を起こすつもりで、すでにその準備を整えていると密告した。石川麻呂にはそんなつもりは全くなかったが、中大兄皇子のほうは、石川麻呂の言より、讒言者の告げ口を信じた。大量の軍勢に囲まれた石川麻呂は一切抵抗せず、私は世の末まで決して我が君を恨みませんと誓いを立てて、氏寺である山田寺の前で自ら首をくくって死んだ。攻める側はそれでは満足せず、石川麻呂の首を切り、その肉を刺し、叫び声を上げてこれを切った。またこれに連座して殺されたもの九人、流されたもの十五人、資産も没収した。資財の中ですぐれた書物の上に「皇太子の書」とあり、重き宝の上にも「皇太子のもの」とあった。その報告を聞いた皇太子ははじめて大臣の心の貞潔なことを知って、深く悲しみ嘆いたという。「石川麻呂の変」は以後に起きた最大の陰謀事件とされた。しかしこの事件は、結局讒言者に乗せられた天智天皇の早とちりと思い込みで起きた大量死事件である。しかも犠牲者が自分の妻を含むよく知る者たちだっただけに、天智もその後継者も、このような間違いを二度と起こさぬように、反省をこめて山田寺の復興に力をつくしたといわれる。特に持統天皇は自身が石川麻呂の孫娘にあたるだけに思い入れが深く、事件以後、天智天皇は祖父のかたき、母のかたきと見えただろう。

持統が大海人皇子(天武天皇)と結婚して、天智の死後、壬申の乱にも積極的にかかわり、天武に権力をとらせることに力を注いだ背景には、このトラウマ的記憶があったと思われる。あの仏頭は天武の権力の絶頂期の山田寺復興の過程で作られた石川麻呂追悼の薬師如来の頭部である。薬師如来の開眼式が行われたのは六八五年、石川麻呂の死の三十七回忌にあたる日だった。』
あの仏頭が如来の胴体から転げ落ちるまでには、また長い長い物語がある。戦乱があり政変があり、数度にわたる大火災がある。明治維新の廃仏毀釈もある。古代中世の有為転変も大きかったが、近現代の有為転変のほうが、ずっと激しいような気がする。未来の有為転変は更に激しくなるだろう。しかし仏頭の静かな顔を見ていると、百年千年の未来に何が起きようと、心の平静さを保てばかくのごとき目で時の流れを静かに見守ることが出来るのだと思った。

 

 

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