勉強法
 
 勉強というと直ぐ受験勉強を思い出す。そのほか学校での期末試験等々、今でもそのための勉強を怠って真っ青になる悪夢をみる。物心付いたときからずっと勉強に脅迫されているようなものである。しかし一方ではその勉強が全く苦にならず、鬱陶しさもなく、ごく普通の心境でやれるというような、羨ましい人もいる。私などはなるべく避けて通りたいと思うほうで、この世の中に勉強がなければどれだけ幸せかと願ったものである。さて立花隆氏は、もの書きを職業にするものは、ものを書いている時間より、勉強している時間の方がずっと長く、実際には勉強を職業にしているみたいなものであると言っている。

彼はその勉強法として、プレッシャー勉強法が良いと言う。最近やたらと、××勉強法とか知的××術とかいう本が多いような気がするが、そういう本は役に立ったためしがない。そんな本を読む暇があるなら、その間に別の本を読んだ方がずっと勉強になる。有効な勉強法などというのはない。もともと勉強は個性的なもので、自分にとってなにが一番良い勉強法なのかは、やってみなければわからない。勉強で時間当たりいかに効率よく多くの知識を得られたかより、大事なのは集中力の向上である。勉強しているとき頭をフル回転させている時間は意外に短く、机に向かっていても、実は時間の大半はアイドリング状態で、あらぬことを考えて道草を食っていることが多いものだ。たとえば、頭のフル回転を百キロとすると、せいぜい二,三十キロ程度に過ぎない。そこで集中力をちょっと上げると、道草やアイドリング時間が大幅にカットされ、平均時速はたちまち向上する。ではいかにすれば集中力があがるかだが、その第一はプレッシャーである。誰でも覚えがあるだろうが、試験の前の日が一番勉強効率があがる。つまり自分で自分にプレッシャーを掛けると良いのである。その一つの方法として、本屋へ行ってドンと買ってきて、机の上に山積みにする。相当な金額を投資すると、本の山の存在それ自体がプレッシャーになり、投資金額もプレッシャーになる。こうなると欲でも読まざるを得なくなる。またこんなことも良い。締め切りが迫ると、突然料理を始めたりする。そんなことをしている場合か!である。良いわけはないが、良くないと知りつつそういうことをして状況を悪化させる。そうして心の中で焦りまくることで自分にプレッシャーをかける。つまり否でも応でも集中力を高めざるを得ない状況にして行くのだ。
何か文章を書くとき、一番のポイントは書き出しをどうするかである。書き出しが出来たらもう半分出来たも同然である。しかし物事はそう旨くはいかないもので、頭の中は書き出し候補が目の前に並んでいて、なかなか踏ん切りがつず、これだ!と決めることができない。そういうとき、結局最後は「エイ、ヤッ!」なのである。政治の世界でも、経済の企業経営の場面でも、最終的には、「エイ、ヤッ!」で決断するしかない。複数の選択肢の中で、どれも一長一短それぞれの特長があって、どれがベストか決めかねるときは、決定権者が、「エイ、ヤッ!」で決めるほかない。いつでも未来は不確定なのだから。
さてものごとを学ぶ上で、何より大切なのは、好きか嫌いかと言うことである。好きこそものの上手なれと言うが、人間は好きでないものに熟達することは出来ない。効率よく知識を得るためには集中力が不可欠だが、さらに肝心なのはその対象を好きになることである。好きであれば喜んで熱心に学ぶ。大好きなものなら放っておいても、人は我を忘れ、最高の集中力を発揮する。言葉をかえれば、何かを学ぶ上で重要なのは学ばんとする意思である。この意思が学ぶ上で最も重要で、それさえあれば後はどうにでもなる。では学ばんとする意思はどこから出てくるのかといえば、結局それは、好きな気持ちから出てくるのである。人が何かを好きになるということは、実に不思議で強力な現象で、そこには男女間に働く親和力のような力が働く。これは本の世界と自分の内的世界との間で働く物理的波動の共鳴現象のようなものである。二つの物体の固有振動数が一致しているときに共鳴現象が起きて、巨大な構造物ですら破壊されてしまうほどの力が発生する。人と本との関係も同様で、バイブレーションが一致すると、完全にその世界に取り込まれてしまうことがある。そこまで行くとしめたもので、何の努力もなしに勉強に熱中することが出来る。そこにたどりつくのは、勉強術によってではなく、自己発見によってなのである。自分は生来どういう精神的バイブレーションを持つ人間であるかを発見し自覚し、そのバイブレーションに一致する世界をみつけることによってなのである。   

 さらに勉強を深めて行くために重要なことは、バイブレーションを共有する仲間を見つけることである。どういう世界でも必ずバイブレーションの共有者がいる。そういう仲間と出会えばバイブレーション共鳴現象が起きる。人間は基本的には社会的動物だから、仲間を見つけることが学習効果を上げるうえでものすごく有効に働く。学者や研究者は必ず学会を作り、機関誌などを作り、一つの共同体を作って研究を推し進める。仲間がいたほうが、お互い情報交換もでき、知的刺激を与え合い、かつお互いの仕事を評価しあいながら、研究を進めることができるのである。これは修行道場で同参の者どうし、切磋琢磨するのと全く同じである。

 

 

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