さて現在、ドイツのキリスト教信者の数は、カトリックが二千四百万人、プロテスタントが二千三百万人、両方合わせると、全人口の約六十%を占めている。ところがその数が、毎年五十万人ずつ減っているという。この調子で行くと二十年後には信者は人口の五十%を切るはずで、キリスト教徒は近く少数派になるかも知れない。ちなみに日本のキリスト教信者は全人口の一~二%で、約二百万人、一方仏教徒の数は約八千五百万人(全人口の約七十%)にものぼる。ひと昔前のドイツなら、無宗教者は「人にあらず」といわれた。すでにこの二十五年来、プロテスタントは六百万人、カトリックは二百万人もの離脱者が出ており、無宗教は別に珍しくも何ともない事態となりつつある。
ドイツ国民の教会への冷めた視線の理由は、その財源の問題である。この辺が日本の寺とまるで違うのだが、さかのぼること、十八世紀末、ナポレオン率いるフランス軍は大小の領邦を蹴散らしヨーロッパ平定を目指した。その頃のドイツは三百以上の領邦がひしめきあい、それを青息吐息の神聖ローマ帝国がかろうじて束ねていた。間もなくライン左岸のドイツ諸邦はナポレオンの手に落ちた。このとき、神聖ローマ帝国は代表者会議を開き、ドイツ中の教会領を取りつぶし土地や財産を丸ごと諸侯に分配した。そのかわりに教会には毎年少しずつ賠償金を支払い、つじつまを合わせた。何とこれが二十一世紀の今日まで生きているというのだから驚かされる。その賠償金の額だが、カトリックとプロテスタントを合わせて、二〇一三年で五百八十六億円、出所は州税である。ドイツは二十年以上も緊縮財政を敷いており、福祉は切り詰められ、鉄道は老朽化しているというのに、教会だけには多額の賠償金が相変わらず支払われている。二百十年間を合算すると天文学的な額になる。さらに教会税を徴収する権利が与えられている。教会に属している人は、収入に見合った教会税を納めなくては成らない。徴税は各州の税務署に委託され、教会にとっては黙っていても金が入る仕組みになっている。これだけの資金を集めて教会は一体何に使っているのか。教会や修道院の修復などは一般の税金が投入されている。教会経営の病院、福祉施設、学校なども、運営は教会が携わっているが、経費は公的な税金から賄われている。二百十年来の賠償金と教会税という莫大な収入は、社会事業には注ぎ込まれず、実は殆どが聖職者の給料や年金に充てられている。これでは教会に対する批判は年々高まる一方だと言うのも頷ける。国勢調査に依れば、ドイツ人が最も信頼するのは警察で、一番信用しないのは教会だという、笑えない話もある。
現在ドイツでは深刻な宗教離れが続いており、脱会者急増の波は、教会の放漫経営と聖職者の桁外れの浪費、さらに聖職者のモラルの崩壊、金権体質に、今まで燻っていた国民の不満が火を噴いたのである。これでは貧者救済も何もあったものではない。ドイツは建前こそ政教分離だが政治と宗教はしっかりとスクラムを組んでいる。学校では宗教は必修科目で、これは憲法で定められている。基本的には宗教の授業は大学に入るまで延々と続く。
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