生涯現役
 
 うちの坐禅会員には八十を過ぎてもなお矍鑠として、会社の仕事や世間のお世話等々で、日々奔走されている方々がおられる。老いたからこそ出来る役目もあるわけで、世の中から必要とされている限りは、死ぬまで世のため人のために人生を全うして欲しいと願っている。
 さてそういう人たちに囲まれている私だが、昨年大転機を計り、僧堂の師家を弟子に譲って、後は楽隠居を考えた。隠居後の過ごし方も自分なりにいろいろ思案し、熟慮の結果「いま山頭火」に成ろうと決めた。諸国行脚乞食の旅である。これはずっと前から温めていた構想で、ようやくそのチャンスが到来したわけである。そのための準備も着々固め、予行練習に一日三十キロ走破も実験する間際まで行った。

ところが半年経過した頃、弟子がやって来て、「私にはこの任は到底果たせませんので、お断り申し上げます」。ガ~ン!。もろくもすべてはパ~になった。しばらくは無性に腹が立った。誰でも師家などという仕事は、待ってました!などという者は一人も居ない。えらいことになったな~、が本音である。しかし修行者に「お断り」の言葉はない。崖から蹴落とされたような心境だが、しがみついてでもよじ登らなければならないのだ。そのように生きてきた私にとって青天の霹靂であった。しばらく悶々とした日々が続き、やがてこんな風に思うようになった。
 今から三十二年前、見ず知らずの道場に派遣を命ぜられ独りでやって来た。山内六ケ寺の和尚さんの顔も名前も知らず、この道場がどのような状態なのかも全く解らず、支援者も一人も居ないという状況であった。それからコツコツと地道に、賽の河原の石積みのような努力を積み重ね、ようやく今日の瑞龍寺が出来上がったのである。しかしこれを私は不運だとか逆境だとか感じたことは一度もない。それは私が天から与えられたお役目だと思ったからである。その役目を果たすために私は此処(ここ)に派遣されてきたのである。思えば有り難いことで、そういう大切な役目をさせて頂けるのだから、この繰り返しの日々こそ、この世に生きる価値だと思った。     私は、世間で必死に働き給料を貰い家族を養っている多くの人たちのことを思う。かつてバブル真っ盛りの頃は、ゆけゆけどんどんで、毎年給料がうなぎ登りに上がった。今から思えば夢のような時代だった。それからバブルがはじけ、「失われた二十年」、長く経済の停滞期が続いた。その間サラリーマンの給料は減らされるばかり、反対に生活費全般は上がるばかりで、塗炭の苦しみが続いた。それでも頑張るのは一重に家族を養って行かなければならないからである。その状況は今でも決して変わってはいない。一部にアベノミクスの恩恵を受けて業績回復というところもあるようだが、それは大手の恵まれた業種だけで、依然として中小零細企業の状況は変わらない。それどころか、これから子供を大学にやらなければならない五十代の父親が、いわゆる「追い出し部屋」にやられ、半強制的退職勧奨を通告される例が急増しているという。降格人事や賃金下落は珍しくなく、またそれに同意できなければ会社に居場所はないという。 内閣府の高齢者の地域社会への参加に関する意識調査によれば、退職希望年齢で六十五才と答えた人は三割に満たず、残りの七割は七十才以上、働けるうちはいつまでもという旺盛な労働意欲が現れているという。実際に現在の高齢者労働力率を見ても、先進国でもっとも高齢者率が高いのは日本で、六十~六十四歳では七十六,四%、六十五歳以上でも十九,七%が働きたいという。これは元来勤勉な国民性と仕事が人生と不可分の暮らしをしてきた実態で、今なおさほど崩れてはいないと言うことである。
 うちでも時々仕事のお手伝いに、シルバーセンターから派遣して貰う。大抵七十歳以上の方々で、喜々として仕事をされる。その様子を見ていても、単に経済的な問題だげではなく、それが生きがいになっているようだ。また、いわゆる職人さんなどでは七十,八十は当たり前で、体が動けるうちは死ぬまで続けていたいと仰る。高度な技術を後世に継承しなければならないという責任感もあるのかも知れないが、仕事が労働ではなく日々の生きがいになっており、生活そのものになっているようである。

 私は今年七十二歳になる。サラリーマンから見れば、もうとっくに労働力期限は切れているのかも知れないが、師家という仕事はどちらかと言えば職人さんに近いのだから、六十、七十は洟垂(はなた)れ小僧で、ぼつぼつ引退などと思ったのが大間違いである。一時腹が立ったのも自然に収まって、今では、断って貰って有り難いと思うようになった。ものは考えようでいくらでも変化する。コロコロと自在に変化させることが出来るのも、自分に執着しないからである。つねに無と向き合い、本当は何なのか、感情やその時どきの心に惑わされず、見つめ続けて行く生き方が、こういう場面でも自然に出てくるのだろう。これこそが私の人生そのものなのだと改めて感じたのである。

 

 

ZUIRYO.COM Copyright(c) 2005,Zuiryoji All Rights Reserved.