例えば薬効作用の全くない鎮痛剤を患者に飲ませると、約三〇%の人は鎮痛効果があるという。メリケン粉を丸めて飲ませても痛みが取れるのである。飲む側はこれで良くなると安心感を持つことにより効果が現れる。つまり暗示効果である。いわゆる民間療法や健康食品の広告を見ると、「…が治った」「…が良くなった」と言う実例は、多分プラシーボ効果による。従って効かなかった例は無視して、効果があったと言っている人達の報告だけを掲載すれば良いというわけである。これを単にだまされたと解釈するのも一方的な見方で、「これは効くぞ」と思って飲めば効いてしまうのである。いわば心理療法みたいなものだ。むしろ病気を治療する上で、プラシーボ効果は非常に重要な役割を持っていると考える方が良い。「病は気から」というが、多くの病気は身体的要因と精神的要因が複雑に絡みあって、その人の症状になっているのだから、否定的に捉えるのではなく、重要なことは、病気をいかに治療せしめるかなので、そのためにこういう形の心理的なアプローチも必要になってくるのである。
そのインチキ催眠法を教えた知人が言うには、人間の体は超精密機械なのだというのである。ホンダのアシモがいくら人間っぽい動作をしても、あの程度である。実は裏側で膨大なコンピューターの操作をしているわけだが。それから考えても、人間の持つ精密機械能力の桁違いな精密さに改めて驚かされる。人間が持っているその能力をちょっと利用すれば、不眠症ぐらい簡単に治せると言う次第である。
話は変わるが、毎年一週間断食道場に通っている。近年は忙しくて思うように参加できないのが実情で、何とかやり繰りしてでも行かなければと思っているのだが、その道場で老夫婦で参加された方とご一緒したことがある。夜雑談をしていたとき、多分何も食べない道場での日々から連想されたのではないかと察せられるが、戦後ソ連に捕虜として抑留され、約三年間酷寒のシベリヤで過酷な重労働を強制させられた話を聞いた。粗末な板囲いの大部屋、蚕棚のような寝床にぺらぺらの毛布一枚、火の気もないところで過ごしたそうだ。連日、木の伐採や鉄道敷設工事にかり出され、食事と言えばずるずるの豆入りお粥のみで、皆がりがりに痩せてしまったという。体の弱い人は次々に死んでいった。ともかく腹が減って、看守の目を盗んでは畑の作物を盗んだり、死にもの狂いで生きんがために工夫したという。実体験の話だから真に迫って、約二時間息をのんで聞き入った。人間の生きる力のすごさである。常識ではとても生きられないところを生きたのである。それを支えたのは何が何でも生きて祖国に帰りたいという一念である。よく精神力と言うが、我々が通常使っている精神力という言葉では到底追っつかないくらいの、鬼気迫るものだった。 またかんかん照りのアスファルト舗装の道路の隅で、草が生えているのをよく見かける。この草は一体どこから水分や栄養を得ているのだろうか、そのたくましさ、凄まじいばかりの生命力を思うことがある。時々頂く鉢植えの花などは、一日水遣りを忘れても直ぐにしぼみ、うっかりすると枯れてしまう。「温室育ち」と言うが、人の手を頼って生きているので、ちょっと行き届かなければ、直ぐに枯れて死んでしまう。 |