思索の旅
 
 私も旅をすることが大好きで、知人友人とあっちこっち出掛けた。予めばっちり計画を立て、旅行会社の添乗員に付き添われ、ほぼ計画通り完了するというものである。まっ、それはそれで安心して旅が出来るのでいいのだが、世の中には一人で、足の向くまま気の向くまま、自由に海外を旅するという人もいる。尤もこれには英語が不自由なく喋ることが出来るという条件がつく。そんな中に、作家立花隆氏の旅行記、しかしこれは単なる旅行記とは違って、旅行を契機にいろいろ考えごとをした記録があるのでご紹介する。

 『…そもそも生まれからして、文字通り旅をしてきたと言える。最初の旅は一歳から始まる。父親は長崎で教師をしていたのだが、ある日突然家を出て中国の北京へ行ってしまった。一年後、神戸から船に乗って、天津経由で北京に渡った。その年南京が陥落し、北京に臨時政府が作られ、一旗揚げようとする日本人が続々中国に渡った時代である。その後昭和二十年の敗戦、引き上げの流浪の旅が始まった。大人用のリュックをかつがされ、えんえんと歩き、トラックに乗せられ、収容所に入れられ、引き揚げ船に乗って、日本の山口県の小さい漁村に着いた。このような幼児体験で人生が始まったのである。だから潜在意識には、旅にあることこそ人生だという意識が深く埋め込まれた。 
一九七二年、イスラエル政府がジャーナリスト招待のイスラエル見学旅行に参加したことが切っ掛けになって、イタリヤ・スペイン・ギリシャ・トルコ・イラン等の国々を巡った。これも最初に自分が招待されたわけではなく、その頃新宿のゴールデン街でバーを経営していたとき、客の一人がその旅行に選ばれた人だったのだが、当人がやむを得ない都合で急に行けなくなり、「お前代わりに行かないか」と声が掛かり、直ぐにその話に乗ったというわけである。イスラエルに行って最初の一週間は完全に向こうがセットした見学旅行だった。その後は全土を一周して、パレスチナ問題の現実を見て、理解を深めて貰おうという考えで企画されたツアーだった。その旅行が終わると後は自由で、何日滞在しても良いと言う。他の人は全員帰国してしまったが、さらに数週間かけて徹底的に見てまわった。まずキリストの足跡を丹念に辿った。そのあと、キブツに一〇日間泊まり込んだ。エルサレムにも一〇日間ほどいて、一つの都市に同時に世界三大宗教の神聖都市と言う不思議な四次元空間を徹底的に見てまわった。占領地ガザにも四日間ほど、またレンタカーでシナイ半島を一周し、全部で一ヶ月以上いた。それらの一つ一つについて書き残すことなど到底出来そうにない。大半は私の頭の中に、私的旅行の記憶として残る運命にあるわけだが、それを惜しいとは思わない。何故ならそれらの旅は全部私の中で現に生きているからだ。英語に、You are what you eat.と言う表現がある。汝は汝が食するところのものである。この言葉のかたわらに、豚の絵が描かれた板絵が土産物屋に並んでいたりする。これは実に含蓄の深い言葉で、人間のあらゆる側面でこれと同じことが言える。人間の肉体は結局、その人が過去に食べたもので構成されているように、人間の知性は、その人の脳が過去に食べた知的食物によって構成されているのであり、人間の感性は、その人のハートが過去に食べた感性の食物によって構成されているのである。つまり全ての人の現在は、結局その人の過去の経験の集大成としてある。その人がかって読んだり見たり聞いたりして、考え感じたすべてのことが、その人の本質的な現存在を構成する。
 日常性に支配され、パターン化された行動の繰り返しからは、新しいものは何も生まれてこない。旅は日常性からの脱却そのものだから、その人の個性と知情意のシステムにユニークな刻印を刻んでいく。旅はその人を変えていく。その人を作り直していく。旅の前と旅の後ではその人は同じ人ではありえない。私の中で転換となった旅で、忘れがたいのはシリアのパルミラの遺跡である。砂漠の中に残骸をさらすだけの、失われた巨大な古代都市で、一目見ただけで、かってどれほどの栄華を誇っていたか、容易に想像できる。ローマ時代初期、隊商の中継点として大いに栄えた。女王ゼノビアは伝説的に美しく、知性と政治的軍事的才覚を兼ね備えていた。

 

ローマ帝国のほぼ半分を支配していたのだが、紀元二七二年に、ときのローマ皇帝アウレリアヌスは大軍を率いて遠征し、パルミラは徹底的に破壊され、砂漠に残骸をさらすだけの死の都市となってしまった。ゼノビアは捕らえられ、ローマでのアウレリアヌス帝の凱旋行進でさらし者になった。 いかに力のある権力者といえども、政治的野望に燃えすぎると国を滅ぼす。過去の栄華の記録と目の前の瓦礫の山の対比に、思わず粛然とせざるを得ない。パルミラの遺跡を見てから、わずか数ヶ月もしないうちに、私は「田中角栄研究」を書くことになった。一時は日本で比類ない政治的権力を振るったこの男が、自己の政治的権力をどこまでも拡大しつづけ、超権力者として日本を支配し続けようとする野望に身を焦がし、やがて自ら滅びの道をたどっていくその全過程をつぶさに観察することになった。その間、私は心の中であの男に重ねて、パルミラの遺跡を想い出した。』

 

 

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