『…ベイルートの市の中心街の一角、旗を掲げたPLO(パレスチナ解放機構)のビルが建っている。自動小銃を持った兵士が受付の役をしている。PLO宣伝部長のシャムート氏は初老の物静かな紳士である。玄関でボデェーチェックにあい、ここがゲリラの総本山かと妙に緊張した。一昨年、PPLPのスポークスマン、ガッサン・カナファニが暗殺された。又昨年PLOのカマル・ナセルが暗殺された。そのニュースが伝わった瞬間から全市の機能は停止した。完全に無政府状態に成り、ライフル、機銃、ダイナマイトは終日全市を揺るがし、路上で燃やされた古タイヤの煙は街中を覆った。哀悼の意を表さない人間は、外国人といえども容赦なく袋だたきにされ、路上に駐車している車には次ぎ次ぎと火が放たれた。この二人の葬儀のとき、ベイルート通りは、怒り、嘆き悲しむ人で埋め尽くされた。これは何を意味するのだろうか。
話は変わるが、ここでアラビヤ語について申し上げる。他の言語と最も違う点は、アラビヤ語の古典語がいまだに生きて用いられ続けていることである。文章だけではない、スピーチ、演説、ラジオのニュースなど、やはり文語が用いられる。それがアラブ社会の国際語の役割を果たしていることである。口語のアラビヤ語は地域によって全く異なるが、アラブ諸国の国際会議など通訳なしでおこなわれる。そこで語られるのは文語だからだ。この文語アラビヤ語は世界にまれに見る豊穣な言語であり、またその音響効果が素晴らしい。この音楽性がことばの意味をなしていることである。西欧では言葉はロゴス(言語)に他ならないが、アラブにおいてはロゴスに音楽性がかきたてるパトス(激情)が加わって、初めて言葉としての意味を持つ。アラブ人が演説を始めると、余りにも誇大で激情でびっくりさせられる。あれはむしろ詩人が自作の詩を朗読していると思った方が良い。人は詩によって自分の魂がかきたてられるとき、何らかの魔力によるものと考えずにはいられない。詩を通じてアラブ人の大衆は、パレスチナ人のパトスをその最も深いところで共有しているのである。
さて一見パレスチナ問題と直接関わりがなさそうに見えるこれらのことを言ってきたのは、これまでの日本におけるパレスチナ問題の理解のされ方が余りにも単純で、安直な理解は誤解の上にしか成り立っていないように見えるからである。その後一人で約一ヶ月半、自分の足でイスラエルを歩き、キブツにも住み、占領下のガザにも行った。イスラエルについて、うっかり口を開くことはできないぞと言う気持ちになった。
パレスチナ人に会って、しつこいほど繰り返された言葉がある。「我々は決してユダヤ人を憎んでいない。何百年もの間、ユダヤ人と仲良くやってきた。我々の闘っているのはユダヤ人ではなくシオニスト(パレスチナにユダヤ人国家を建設しようとする運動)なのだ」。ユダヤ人は大体世界に千五百万人いる。三分の一強がアメリカ、次がロシヤに三百五十万人、イスラエルに二百六十万人、フランスに五十四万人、イギリス四十万人、と言う具合に世界中に散らばっている。こういう状態の中でシオニズムが、ユダヤ人全体からどれだけ支持を得ているかというと意外に少ない。シオニストはイスラエル人の多数派ではないのだ。だからユダヤ人の総意がイスラエルという国を作ったと考えるのは誤りである。それどころか、イスラエル国外では、ユダヤ人の反シオニズム運動が盛んなのである。 |