彼らは誰が一太刀で体を真っ二つに切れるかと、誰が一撃のもとに首を切り落とせるかとか賭をした。また母親から乳飲み子を奪い、その子の足を掴んで岩に頭をたたきつけたりした。その殺し方や拷問の方法は種々様々であった。また生け捕りにしたインディオたちをことごとく奴隷にし、男は鉱山に女は農場に連れて行った。いずれも過酷な労働と飢え(ほとんど食物が与えられなかった)のため、次々に死んでいった。結局エスパニョーラ島に約三百万人いたインディオで、生き残ったのはわずか三百人だったという。これでは労働力が不足してしまうので、近くのバハマ諸島のインディオを奴隷として連行、大小合わせて六十の島から総計五十万人、生き残ったのはわずか十一人になってしまった。このようにうんざりする話が次から次に続くのだが、中南米トータルで、四十年間に千二百万~千五百万人が殺された。勿論これで終わったわけではない。十年後の年代記によれば、四千万から五千万人に増えている。現在中南米の国々で人口のほとんどが白人という国がある。。それはインディオを殺し尽くした上に建国された国だと言うことを意味する。また白人と黒人、その混血でほとんどという国もある。つまりインディオがいないという特徴を持つ。これらの国はやはりインディオを殺し尽くしてしまった国なのである。
白人たちはどうしてあれほど残虐な行為をインディオに対してしたのだろうか。ローマからやって来た枢機卿を前に伝道僧たちとスペイン、ポルトガルの植民者たちが、インディオは人間か動物かを論争した。インディオは人間ではない、人間より劣った動物なのだから、奴隷にして当然だと言う主張である。これは白人植民者においては、かなりポピュラーな意見だった。インディオを人間とみなし、奴隷の境遇から救い、教化の対象としようとする伝道僧たちと、インディオは人間以下の存在で魂を持たず、教化することは無意味だから、伝道は止めようという植民者が、互いに自分たちの主張をスペイン国王に認めてもらおうと訴え出た。調査団が派遣され、結果、現地の多数意見はインディオは「自由だが獣」として生きるより、「奴隷だが人間」として生きた方がよいというものだったという。
このような時代背景の中で、イエズス会の伝道士たちは、パラグアイ、アルゼンチン、ブラジル三国のジャングルに入り込み、インディオを教化し、村を作り、農場や工場まで作ることに成功した。この伝道村は約百五十年間存続したが、十八世紀半ば、スペイン、ポルトガルとローマ法王庁三者の思惑の絡み合いの中でつぶされ、村は廃墟となった。 |