第十六回  帰  院
 朝の勤行が済むと通常なら粥座、坐禅と続くわけだが、托鉢の時は坐禅が省略されて直ちに出立の準備にかかる。これは私の修行した道場が極めて辺鄙なところにあったため、町中の僧堂と違って目的地に到着するのに一時間以上も歩かなければならないという事情による。
 大抵三人ひと組みで出掛ける。引き手さんはベテランの者がなるので、あとはその指示に従って全て行動することになっている。大体托鉢に三時間くらい要するので、途中休憩を入れても 十時過ぎには終わる。そこであらかじめ依頼しておいた点心先へ行き、諷経の後お昼ご飯の接待を受ける。田舎叢林では行き帰りに時間が掛かるため、どうしても信者さんのこうした供養 を受けなければやっていけない。

『雲水日記』画:佐藤義英
発行:(財)禅文化研究所
点心先の供養は一年間に一軒一回迄と決まっているので、托鉢毎に何組も出てそれぞれがお世話になるには何百軒もそういう依頼先がある。これも長い伝統と地域の方々の暖かい心に支えられているからこそ成り立つわけである。
 点心後少々休憩すると、いざ帰院ということになる。午前中の托鉢の疲れと食事を頂き腹一杯になっているから帰りの道中はしんどいものだ。比較的気候の良い時期はまだいいが、うだるような夏の午後、最も気温の上昇する一時から二時位にかけて歩きだすとなると、暑いのなんのって、汗が全身から吹き出して墨染めの法衣の背中が体の塩分で真っ白になるほどだ。
 矢張り夏の真っ盛りの頃であった。上麻生という所に出掛けた時のことである。そこへはちょっとした山を二つ越えて行く。帰路、山道に差し掛ると涼しい風が吹き抜けいかにも心地好い。何を思ったか引き手さんが、「おい!ここらで一休みしようじゃないか。」と言った。途端にしゃがみ込むと、その余りに気持ち良い風に誘われるように三人ともうとうとと寝むり込んで しまった。日頃の疲れもどっと出て、それからどれ程経ったろう、突然引き手さんの絶叫がした。「おい!起きろ!」慌てて時計を見ると決められた帰院の時間まで三十分程しかない。通常なら一時間掛かる距離である。もし時間までに帰れなければ引き手は責任を取って、一晩山門で野宿しなければならないことになっている。
 それから三人駆けたの駆けないのって、お米が沢山入っている袋を背中の方に背負って、法衣の裾振り乱して気違いのように走った。まるで何か悪いことでもしておっさま£Bがおまわりさんに追い掛けられている、というような図である。本来なら寺の正面階段の途中にある観音像前で一礼し、甘露門というお経を唱えな がら、乞食行の円成を感謝し、財施の人たちの功徳の無量を祈りながら山門をくぐるのだが、 そんなことはやっていられない。怒濤のごとく滑り込んだ。兎も角間に合って胸をなでおろした。その疲れたのなんのって!引き手の俊さ ん″のことをいつも想いだす。

 

 
 
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