第十五回  小 休 止

 托鉢も道場の立地条件によってさまざまである。瑞龍寺のように比較的街に隣接している寺では行き先も近く、そんなに遠距離まで出掛けて行くことはない。しかし私が修行した所のように山奥になると話は別だ。今でこそ広い道路も通り車も発達してよほど便利になったが、当時は本当に辺鄙であった。だから托鉢にちょっと近くの集落までといっても一里や二里あるくのは当たり前のことだった。
一番遠くになると五里先迄歩いて行く。さすがにこれは月一回だったが、その日は朝の勤行も懈怠し、起きると直ぐに朝食、それもほかほかと湯気の立ち昇る白的(白米のご飯)である。

『雲水日記』画:佐藤義英
発行:(財)禅文化研究所
通常は天井が映るほどの薄いお粥だったからこれは有り難かった。腹一杯食べたら直ぐ出発となる。午前三時起床だから外はまだ真っ暗闇である。そんな田舎道を、前を歩く雲水のかすかに見える白い脚絆だけを頼りに歩いて歩いて歩 き通した。
 五里を大体三時間で歩いた。今から思えば相当な速度である。途中小さな村の神社のぬれ縁で小憩。酷寒の侯は周囲の林から枯れ枝を集めて焚火をしたが、冷えきった体には火の暖かさだけで何よりのご馳走であった。こんなほっとした一時、よく高単さん(先輩)から図らずも 修行上の助言を得たり、道場の中では決して見せないような優しい言葉をかけてもらい救われたことを覚えている。
 それはお互いが共にぎりぎりの処で必死になってやっているからこそ生まれる自然の遣り取りだったのだろう。それに比べて近頃の雲水を見ていて心配に思うのは、こういう時の話題が極めて低俗なことである。つまり本音の部分でいったい何を拠り所にして修行をしているのかが問われているのであり、修行者としての見識が重要になってくるのである。
  又こんなこともあった。お寺の門前で小憩をしているさと近所のお婆さんが「おっさま、ご苦労さん。」と言って美味しそうなお菓子とお茶をわざわざ持ってきて振舞ってくれた。こういう諸々の周囲の人達に支えられて修行は行なわれるのである。出世間の修行が本文の我々でも決して社会と無縁ではない。尊い仏縁を結ばせて頂くことが開悟の機縁ともなるのである。
 他には作務(さむ・作業)の途中にある小休止もほっと一息付けて貴重な時間だった。当時はお菓子など贅沢なものは殆ど出ず、大抵沢庵の千切りであった。もう少し腹に溜まるものは無いのかなー、と内心思ったが何時も沢庵だった。珍しく老師からお下がりの菓子があっても それは相当古く、湿気っていて噛んでも音のしない煎餅か、かびの生えた饅頭だった。副随さんが唐揚げにして出してくれた。
 この様に小憩は極めて質素そのもの、ほんの わずかな時間だったが、一緒に修行した当時の仲間のことが懐かしく思い出され、心和むひとときはいつまでも忘れられずに深く刻みこまれている。
 
 

 

 
 
ZUIRYO.COM Copyright(c) 2005,Zuiryoji All Rights Reserved.