また托鉢をしていると思わぬことに遭遇する ことがある。この時も見知らぬ土地で声を枯ら して軒先に立っていると、小学生が自転車で通 り過ぎて行った。しかし直ぐに引き返して来て、 何事かと思っていたらいきなりポケットから 「はい」と言って百円玉を差し出した。呼べど 叫べど一向に人の出てくる気配のない路地をひ たすら托鉢し続けていた時のことだったからこ の時の喜捨は一層心に響いた。きっとこの子に とってこの百円はその日のお小使いの全てだっ たに違いない。いつしか私の心は爽やかになり、 卑下の心も増上慢な心も一瞬のうちに消し飛ん でいた。
その後十数年に及ぶ修行の間、私は深く被っ た網代笠のわずかな隙間から世間に触れ、時代 の風を膚で感じながら繰り返し托鉢に出掛けた。 今自分のしている修行がどれ程尊いものなのか を教えられたのも、この托鉢による乞食行から である。
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