第十九回  園  頭 (えんず)

 僧堂の生活は自給自足が原則である。以前は沢庵漬けは勿論のこと味噌や豆腐なども手作りだったようだが、我々が入門した頃には既に近くの店から取り寄せていた。米は托鉢で頂き、野菜と餅米は雲水が作った。とは言っても素人ばかりの雲水ではまともなものは出来ない。そこで門前に住む兼さん″という老人が、殆ど毎日のように僧堂の畑にやってきては手入れをしてくれていた。担当は副随(ふずい)役で、兼さんの指示通りに草を引いたり間引きをした り水を掛けたり肥料をやる。また何時どの種を播くのか、どの時期に何をしなければならないか、僧堂に必要な野菜は何かなど全て兼さんの指示に従っていた。

『雲水日記』画:佐藤義英
発行:(財)禅文化研究所

だから一反程あった畑はいつも青々と茂っていた。
 畑仕事が終えると兼さんは必ず副司寮のぬれ縁に腰掛けて、饅頭をいかにも美味そうに入歯をかちゃかちゃいわせながら食べた。そしてごくりと飲み込むお茶が痩せこけた喉を通って行くのがこちらからでも見えるようだった。そんな時、兼さんは村であった出来事や世間の四方山話をしてゆくのが楽しみだったようで、今でもその頃のことが懐かしく想いだされる。
 また今は駐車場に変わってしまった、参道の西側一帯は以前段々の田圃であった。ここも約一反ほどあり、専ら餅米を作っていた。何が楽しみと言って、それは田植えの時である。早朝よりまず数枚に分かれている田圃に満々と水を張る。次に平らに均さなければならないが、これも耕嘉機などという便利な機械がないから、人力が頼りである。まず大きな板を横にしてそれに何本も縄を括り付け力任せに引っ張るとい う方法である。人間が牛馬になって泥まるけになりながら引き回すのである。ある年のこと、どうした弾みか数人で引いていた縄が一斉に切れ、まるで薙ぎ倒されるように全員が泥田圃にぶっ倒れた。這い出たときには皆頭から爪先まで泥だらけ、これには大笑いをした。すぐに向かいの放生池に飛び込んで泥を洗い流した。
 もう一つの愉しみはお昼が必ず蒟蒻カレーになることだ。カレー粉をメリケン粉で溶かし、あとは具を入れただけのものだが、この世にこんなに美味いものがあるかと思うほどだった。泥田圃を這いずり回る重労働でお腹はぺこぺこ、その後の食事だから五臓六腑に染み渡る味わいだった。ところで炊事当番の者は必ず夕食分まで計算して大量に作るのが不文律であった。と言うのもこんなチャンスはまた何時巡ってくる か分からないから、そこは気をきかせて倍作り、夕食も皆にご馳走したのである。
 また園頭役と言ってもいろいろで、中には専門のお百姓さん顔負けというような者もいた。丹波の山猿、津さんは特にスイカ作りが上手で、毎日我が子を慈しむがごとく畑に日参し、それはそれは見事なスイカを実らせた。山深い大自然の中で園頭は米や野菜を食料として栽培するというだけでなく、人参や牛蒡とどこかで一体になっているように感じさせたものである。

 
 
ZUIRYO.COM Copyright(c) 2005,Zuiryoji All Rights Reserved.