第三十三回  大四九
 僧堂では四と九の付く日を「四九日」といい、剃髪をしてから内外の掃除をし開浴となる。十四日と晦日は特に大四九と言い、特別に「寝忘れ」となって、大体午前五時半くらいまでゆっくりと寝させて貰える。平生が三時か三時半起床だから、雲水にとってこの大四九は月二回の待ちに待った日である。
 起床後、堂内諷経が済むと直ちに粥座となる。終わると侍者さんが堂内敷き瓦に、湯を張った大きな盥を準備してくれる。そこで隣単同士がお互いに頭を剃り合う。二十センチ四方の板に切りそろえた古新聞を乗せ、そこに剃った髪を置くのであるが、石鹸もましてやシェービングクリームなども一切つけずにいきなり剃るので、慣れないうちは痛くて涙がぽろぽろ零れる。

『雲水日記』画:佐藤義英
発行:(財)禅文化研究所

しかしこの後、直ぐに大掃除が控えているから暢気にはやっていられない。旧参の者は慣れた手付きでさっさと片付けるが、新参者は焦る割には遅く、しかも慌てるものだからよく相手の頭を切って怒鳴られる。ともかく剃髪が済めば直ぐに脱衣に腰上げ、たすき掛けをして大掃除が始まる。特に僧堂では掃除は大切で、部屋や廊下の雑巾掛けをし、また庭を掃き清める。これは同時に汚れた心の内も清めるという意味が込 められている。何事も″なりきる≠アとが修行道場の要であるから、掃除の仕方でも猛烈な勢いである。もたもたしていようものなら先輩から罵声を浴びせられることになる。
 中でも便所掃除は最も重要である。「東司」(とうす) と言い、禅寺では七堂伽藍の一つに成っている。その入り口には鳥樞沙魔明王(うすさまみんにょう)が祀られ、一切の汚れを取り除いてくれる。その掃除当番は大衆頭と新到末単の二人である。金隠(きんかくし)は全て板で出来ており、必ずと言っていいほど糞がへばり付 いている。今時ならゴム手袋にトイレ洗剤でと言うことであろうが、当時はそんなものは一切無かった。ともかく力任せに雑巾でこそぎ落とす他ないのである。修行に行き詰まった時などは、皆が寝静まった解定(かいちん)後密かに便所掃除をして、心境を練ると言うこともある。
 常住辺では、典座は鍋釜のすす落とし、竃突(かまど)掃除、薪割り等。殿司は本堂を始め諸堂の拭き掃除や華替え、香炉の灰直しなどをする。たった二人切りで広範囲にわたってやらなければならないので余程要領が要る。その点、小さい頃から小僧で鍛え抜かれてきた者は、実に手際よくしかもそのポイントを押さえた仕事ぶりには、何時もほとほと感心させられた。
 禅の修行は常に行解相応(ぎょうげそうおう)でなければならない。たとえ悟りが開けたとしても単なる理屈だけでは何の役にも立たぬ。それが日常生活のあらゆる場面で手足の動きとなって現れてこそ体得したと言えるのである。

 

 
 
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