第三十四回  晩課掃除
 平生雑巾掛けは朝課中、当番の者は出頭せず、残ってそれぞれ担当の区域を手早く済ませる。 他の者より十五分ほど先に開静がかけられると、直ちに脱衣に腰上げ玉襷といういでたちで猛烈な勢いでやる。これで一日分は終わりなのだが、大接心中に限って晩課中にもう一度雑巾掛けをする。これが晩課掃除である。私は十年過ぎた頃より専ら聖侍役を命ぜられた。皆が本堂で勤行している間、禅堂の内外、大玄関入り口に至るまで敷き瓦の雑巾掛けをした。のち鎌倉の寺の住職になって通参するようになってもこの役目は代わることなく、講座以外は何時も雑巾掛けだった。気候の良い時はさほど苦痛を感じないが、酷寒の候ともなればバケツにはうっすらと氷が張り、雑巾をゴシゴシ揉んで絞りあげると、手はかじかんで殆ど感覚が麻痺してしまう。こんな時本堂で皆と一緒にお経を読んでいられたらさぞ楽なのにな〜などと思ってしまう。

『雲水日記』画:佐藤義英
発行:(財)禅文化研究所

 僧堂のシステムは考えれば考えるほど良くできており、例えば禅堂内での新しい者へのお茶汲み、経行(きんひん)草履の修理、下駄の鼻緒をすげ替えたりというような、いわば下働きは専ら最古参の雲水がやることになっている。
一般社会では考えられないことだが、全ては修行に結びついてできているのだからこれが最良なのだ。
 皆が本堂行事を終え禅堂に戻ってくるまでに綺麗に掃き清め線香を立てて直ぐにお経が始められるように支度しておく。その後直ぐ薬石(夕食)となるのだが、この時も二番座であるから三食ともほかほかの温かい食事は絶対に食べられない。冬などすっかり冷たくなった飯や汁をすする時、何時になったら温かい飯が食べられるようになるのかな〜などと愚痴の一つも出てしまう。私はこの役をほぼ十年間勤めさせて貰ったが、この事が後年どれだけ私自身のためになったか知れないと今では有り難く思っている。
 常住各役寮の当番の者は全て晩課行事中は残ってそれぞれの担当を手際よく掃除し、清めて晩課後に備えるのである。一般在家では掃除は精々一日に一辺もすれば上等で、中には一週間に一度などというのも珍しくないかも知れない。そ
の点僧堂は違い、「一に掃除二に掃除」ひたすら雑巾掛けをし拭き清める。これは汚れているから拭くというだけではなく、心を何時も綺麗さっぱりしておくという、精神的な意味が籠められているのである。こうして使い込まれる雑巾は忽ち擦り切れてぼろぼろになるので、何時もスペアーを支度しておかなければならない。そこで成るべく巨大な雑巾ならば広い廊下や敷き瓦を一気呵成に済ませられると考えるのだが、雑巾はタオルを三つに畳んで縫い、それを半分に折って裏表で拭き、汚れたら裏返して再び裏表で拭くのだと、喧しく言われた。

 

 
 
ZUIRYO.COM Copyright(c) 2005,Zuiryoji All Rights Reserved.