第五十九回  冬夜
 一月十五日から臘八大接心が始まり、八日目の午前三時、暁天座の喚鐘が打ち鳴らされ、願心のある者は、最後とどめの室内に参ずる。所得のあった者なかった者、接了になれば、皆一様に安堵の胸を撫で下ろす。翌日は近鉢(近い地域へ托鉢)、二十四日晩開版から禅堂で恒例の冬至冬夜(本来は十二月一日から八日間、臘八大接心があって、その後に冬夜)が催される。
ざっくばらんな話、飲めや歌えの大騒ぎをするのである。ついさっきまで命懸けの坐禅修行をしていた同じ場所で、今度はどんちゃん騒ぎを繰り広げるというのだから、一般の方から見れば、何と奇態なことと思われるだろう。しかしこれが禅堂修行の良いところで、修行もどんちゃん騒ぎも、双方共に成り切ってやるので、大きく見れば修行なのである。把住放行、内に向かって徹底極め尽くし、反転して今度は外に向かって徹底的に放ち尽くすのである。

『雲水日記』画:佐藤義英
発行:(財)禅文化研究所
 三尺四角もある大きな火鉢に、裏山の炭焼き場で作った炭をてんこ盛り、その上に大鍋を据え、豆腐・萄蕩・人参・厚揚げ・大根・白菜等々たっぷり入れ、醤油味の汁でぐつぐつ煮る。
これを各自持鉢にとって頂く。お酒は隠寮からいくらでも下げて貰い、殆どコップ酒、近頃のようにアルコールと言っても、やれどこそこの銘柄焼酎だワインだ等という酒落たものなどなにもない、冷や酒をあおるのである。上下のへだとを取り払い、和気藹々、高吟放歌は勿論、達者な者は門前の村の青年からギターを借りてきて、ガリガリ奏でる。歌だか怒鳴っているのか解らないようなへたっぴーな歌を、てんでばらばらに歌いまくる。喧しいことこの上ない。
血の気の多い若者が、上からぎゅっと押さえつけられ、中に溜まっていた鬱積した気持ちが一気に爆発するのである。昔の大先輩に伺うと、三味線を弾き、単頭単を舞台に、ちょっとした芝居を演じたそうだ。衣装も村の娘たちから拝借してきたという話だが、本当かしらと思った。
修行中何時どこでそんな稽古をしたのかな〜と思う。今と違って当時は雲水の数も多く、全体余裕があったのかも知れない。
 評席の者は副司寮でこじんまりとやる。そのとき、近隣の嘗て僧堂時代評席だった和尚さん方を招待する。おもてなしと言うこともあるが本音は、タダでは飲めないから必ずなにがしか包んでくるわけで、それが目当てである。そんな折り、昔の冬夜での様々な武勇伝を聞かせて貰う。これも現役の楽しみの一つであった。私がまだ新頭の頃、同夏の者で、担板漠がいて、「南さん、お前のために取っておいてやったからな」。見ると風呂場の洗面器にたっぷり豆腐や蒟蒻が入っている。食え!と言うではないか。きたね〜な〜、と言うと、お前は持鉢と洗面器を差別してみているから駄目なんだ。よ〜く洗っておいたから綺麗だぞ!私が本当に食べるまでじっと見ている。あれから四十数年もたち、お互い年を取ってしまったが、不思議に冬夜のことがいろいろ想い出される。


 
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