こころの杖
 
1994年12月 滝行(たきぎょう)
 
 僧堂で修行していた頃、冬の到来をいつも告げてくれたのが、托鉢の道すがら遥かに眺めた御嶽山の雪であった。その頂が白くなる頃雪安居(せつあんご)と 言って、冬の修行の期間に入る。真っ白な稜線の神々しいばかりの山容を見て、是非一度は登ってみたいと思っていたも のである。
 それから十数年の歳月が流れ、瑞龍寺に住職するようになって間もなく、その願いが叶うことになった。僧堂は夏、冬それぞれ三カ月、二期に分けて修行期間が設けられている。無事に制中修行を終え一区切りし、ほっとするそんな折り私が雲水に提案して実現したのが爾来今日に到るまで欠かさず続いている八月制間の山登りである。それは雲水と一緒にちょっと遊んでみたいという思いと、皆の 気分転換を図るためのものであった。その時初めて登った御嶽山は思い入れが深い分だけ余計に素晴らしいものであった。
 ところがこの登山から帰って間もなく、私の心のなかに更に新たな願いが湧いてきた。古来より御嶽山には何箇所もの滝の行場があって、一度はチャレンジしてみたい、そう思うようになったのである。具体的な方法の見つからないまま月日が流れていった。ある時、ふと友人にその願いを漏らしたところ、誠に格好の指導者が居ると教えられ、図らずも実現することとなった。前書が長くなったが、ざっとそんな経過をたどって私の滝行チャレンジが叶ったというわけである。その年は五月に入っても一向に春らしい陽気にならず、小寒い日が続いていた。その上あい前後して不覚にも腰痛に襲われ、少々風邪気味、そんな最悪の状態で出掛けて行くことになってしまった。御嶽山四合目に宿を取った。そこからさらに徒歩で三十分程山に分け入ると、落差約五十メートルの新滝がある。ここは木
喰上人も修行したという大変由緒のある行場である。さて新滝には所謂滝壺などと言うものはなく、下はごろごろした岩場で、水がそこに叩きつけられしぶきとなって爆風と共に舞い上がり、少々たたずんでいるだけで瞬く間に湿っぽくなってくる。その周囲は欝蒼とした原生林に覆われ、傍らに六畳程の木小屋が建っている。我々は早速そこで身仕度を整えると、準備運動をし、塩で体じゅうを清めたのち、滝に向って般若心経を唱えた。いよいよ滝に打たれるという段取りである。
 水温七度、その冷たさもさることながら、ダダダダーと猛烈な勢いで落ちる滝と舞い上がる風、耳の側を擦り抜けて行く飛沫は初めての経験の私にとって想像以上の恐怖感であった。恥ずかしいことだが膝がガクガクと震えてきた。一方ベテラン組と言えば何の躊躇もなくさっさと滝の直下に入っては、実に気持ち良さそうに打たれている。それはまるで楽しんでいるという風にさえ見え、蒼白の体 は見る見るうちに真っ赤に変化し、五十メートルの水圧に体は砕けんばかりだ。一方私は、その脇のわずかな水しぶきを浴びる程度であったが、それでも水滴は恰も頭に小砂利が降り注いで叩きつけられているようである。生まれてこの方こんなに続けざまに頭を叩かれたことはないと思うほどだ。又冷たさは鉄のタガでぎりぎりと頭を締め上げられるようで、とても三十秒と我慢できないし、身体全 体が硬直して息が止まったようになり苦しくて仕方がない。それでも出来る限りの辛抱をしては脇に避難し又入る、そんな繰り返しを続けた。この様にして二泊三日の間に合計四回滝に打たれるうちにやがて私も滝の直下に入ることが出来るようになった。
 滝行というと山伏、行者さんをすぐに連想し、何か神懸かり的なものと思いがちであるが、実際にやってみるとまるで違う。私は一種のスポーツだと思っている。滝の直下に入って五十メートルの圧力のかかった瀑水を全身に浴びると、不思議な恍惚の境に投入して行く。体中に溜まっていたよどみがふっ飛び、内蔵の一つ一つが一斉に動きだし血が巡る。同時に心もさばさばとしてこの世の憂も悉く叩きだしてしまった心境になる。ともかく最高のストレス解消法である。こんな爽快な気分は外では決して味わうことは出来ない。これだけ良い気持ちになるとすぐ他の人にもと勧めたがる悪い癖が出て、この四年間に友人を何人か連れていったが、皆一様に素晴らしかったと大いに喜んでくれた。
 世の中には多くのスポーツやレジャーがあり、人はそれぞれの好みに応じて楽しんでいる。そこで、将来この滝行も多くの人々に愛好されるに違いないと思うし、又機会があれば是非すすんで体験してみたら如何だろうか。きっと今までにない爽快な気分を味わえることだろう。
 

 

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