1995年1月 自己の胸襟より縷出
 
 六年目の修行に差し掛った時のことであった。突然それまで仕えていた老師が管長として本山へ上がられことになった。我々老師の下で修行する者にとってこんな迷惑な話はない。というのも修行で最も重要な点は指導者である師家(しけ)とぴたっと一つになることである。だからある日突然老師が居なくなる、ということは我々にとって修行の目標を失ってしまうのと同じ事を意味するのである。
 やがてそれまで先輩として共に修行してきた人が入れ替わるように新しい師家として就任することになった。私にとって修行途中で師家が交替することは初めての経験であり、しかも昨日まで仲間として共に修行してきた人が、立場が変わって今日は我々にとっての修行の目標になるわけだから、多少の戸惑いはある。しかしながら今迄同様にこの新しい老師に仕え、一生懸命に修行を続けていった。

 それから半年、一年と月日が経つうちに、私の中に次第に妙な違和感を生じるようになった。どうもしっくりこないのだ。師家が変わればやり方や考え方も当然違ってくる。従ってそれまでのことは忘れ、再出発の積もりでやらなればいけないと、心の中では理解している積もりでも、実際にはこのぎくしゃくとした感じを拭い去ることは難しかった。「このままの状態で修行を続けて良いものだろ うか。」頭の中にあるのは毎日この事ばかりだった。
 悶々とした日々が続いた。「何時までもこのままではいけないぞ。何とか気持ちに区切りを付けなければ……。」丁度二年ほど経過したとき、私の気持ちはもう修行が続けられないという程、切羽詰まったものになってしまっていた。熟慮の末、今の老師に仕えることは出来ないと判断した。
来るものは拒まず、去るものは追わず″これが道場の建前だから、静かに去って行けば別に問題はない。しかし私はその時既に修行して七年経っており、道場では幹部としての役目を果たしていた立場上、現実にはそう簡単にはいかないのである。色々考えた末、夜秘かに去って行くことにした。逃亡≠ネどと言うと世間的には誠に聞こえの悪い話だが、その時は人の評価などどうでも良かった。再度別の僧堂に入門して、そこで一から修行をやり直そうと考えたのである。
 十一月も下旬になり、朝晩はだいぶ冷え込むようになっていた。そんなある日、いよいよ決行の時と心にきめた。袈裟文庫、網代笠、脚絆、甲掛け、草鞋、全て旅装を整え、今日は最後の晩だから名残の坐禅を組もうと考えた。自室の壁に向って静かに坐り続けるうちに、時は刻々と流れ、十二時、一時と経っていった。遅くとも三時頃までには出立しなければならない。ところが、よし起とうと、組んだ足を解そうとすると、その度にまだ何か心の中に引っ掛かるものがあって、どうしても起てないのだ。
 「事ここに到って何をいまさら躊躇も あるものか!」心を奮い立たせて立ち上がろうとそう思った瞬間、私の心にさっとよぎるものがあった。今の今まで氷のように固まっていた私の心が柔らかな春の日差しに溶けて行くようにやさしくなっていった。「修行はお前自身がするのであって、真実修行したいという気持ちがあるのなら、何処でも修行は出来る。他に右顧左眄すること勿れだ。」この一年の間ずっと私の心を悩ませ苦しみ続け た黒い固まりのようなものがこの瞬間にすっかり消えていた。
 想い返せば、道場へ入門したての頃の私はろくにお経も知らず、坐禅すらまともに組めなかった。到らないところばかりで、それを何とか克服して行こうと必死に毎日を送っていた。人のことなど顧みている暇はなかったのだ。やがて三年、五年と経つうちに心に余裕が出来、何とか雲水らしい格好が付いてくると、その一方で、私の心のなかに巣食う高慢の虫が蠢き始めていたに違いなかった。それが他に向かっての批判や自分自身の中の 慢心へと繋がってしまったのである。この時ほど反省したことはなかった。「よし、新たな気持ちでもう一度一からやり直しだ!」
 たまたま本山から所用で道場に戻られた管長老師に事の次第を一部始終申し上げた。すると老師は深くうなずかれ「よし、それでいいんだ。自己の胸襟より縷出して葢天葢地にして方に性分の相応あるべしだ。自分の腹から出たものが一番正しい。その気持ちを忘れず、これからも頑張りなさい。」そう言って励まして下さった。人には誰でも忘れることの出来ない言葉があるが、この老師の言葉は それから以降ずっと私を支え続ける心の杖となった。
 

 

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