1995年3月 面壁(めんべき)
 

 現代はお互い誠に忙しい。忙しいと言う字は心が亡ぶと書くのだからやたらに言ってはいけないと教えられたことがあったが、それにしても忙しい。原因は何かといえば、それは便利になったからである。
 新幹線が開通し、高速道路網も整備され益々便利になってきた。また携帯電話の普及も目覚ましく、車の中といわず電車の中、歩きながらでも電話片手に仕事をしている人をよく見掛けるようになった。一見結構のように思われるが、そうとばかりも言えない。女の長電話≠ニよく言うが、どうでもいいようなことを延々と喋っているし、その外近頃は人から物を頂くと、そのお礼も電話で済ませ てしまうことが多いようだ。まるでそれがごく当たり前のことになってきたが、これは矢張り手紙を書くのがマナーであろう。

 ある学者から聞いたことがある。近頃はマイクロフィルムやコピーという便利な機械が出てきたために頭を使わず皆機械に頼ってしまうのだという。資料調査に行っても確かに効率的で早くはなったが、反面昔のようにペンで書き写す作業がなくなり、その結果覚えることをしなくなったという。この様に一見便利で早くなり効率的だが、多くの大切なものを失っているのも事実である。
 失ったものの中で最も大きなもの、それは心の中を見つめなくなったことではないだろうか。本当ならば便利になってゆくのだから時間にゆとりができ、もっとゆったりとした毎日が送れるはずが、現実は全くその逆になってしまっている。
 面白いことに皆が忙しくなると、それを商売にするものが現れてくる。今便利屋が大繁盛という。つまり代行化現象である。昔味噌は各家庭で造るのが当たり前であった。年末になると味噌造りの為の麹を売り歩く車がやって来て各家庭を回った。各家独自の味を持った、手前味噌を造ったわけである。それがやがて時代の変遷と共に味噌屋さんが登場し、味噌はもっぱら味噌屋から買うようになっ た。この様に代行化は一面時代の趨勢でもあるわけだが、今日流行りだした便利屋は少し様子が違うようである。汚れのひどい風呂場や台所、年末の大掃除を代行するという。元来家の掃除ぐらいは家族の者で綺麗にすべきである。さらに驚くことにはお墓参りの代行もあるという。自分たちは家族のコミュニケーションをはかるために揃ってハワイへ出掛け、先祖のお墓参りは便利屋に頼む。縁もゆかりもない人が綺麗にお墓を清め、花や線 香を供え懇ろに手を合わせお参りする。何とも奇妙な風景である。せめて半日早く帰って、家族揃ってお墓参りが出来ないものだろうか。
 「お話相手一回金四千円也」というのがあるのだそうだ。特に都会では核家族化による孤独な老人が増え、ちょっと茶飲み話の相手になってくれる友人一人もいない。そこでそのお話相手になってあげましょうという訳である。又「お酒の相手一回金三千円也」というのもあるらしい。私も時々一人孤独な酒を飲むことがあるが、適当な相手があればそれにこしたことはない。お話相手より千円安い のは便利屋の方も一緒に飲めるからだそうだ。この様に都会には知人や友人もなく一人淋しく暮らして居て、実は人の心の繋がりを求めている人達が沢山居る。そこに益々便利屋が商売として成り立つ素地が生ずる訳である。
 ところで今最も忙しいのは子供達であろう。現代っ子達は皆学校から帰ると夕食もそこそこに塾へ飛んで行く。塾が大流行なのも親や学校の代行化と言える。厳しい受験戦争の為とはいえ、子供たちも楽ではない。塾も一つだけではおさまらず次の塾へ梯子をする。そこで塾の出口に便利屋を遣って、子供が出てきたら次の塾の用具を渡し「がんばってね!」と励ますのだそうだ。
 物が豊かになり便利になると却って忙しくなる。その結果我々は自分の心を見つめなくなってしまった。お互いは疎遠になり、一人一人は益々孤独になって行く。忙しいことを良い言い訳にして心を捨て去ってしまったのである。これを打破する為には、この忙しさの壁を破り、本当の自己と向き合わなければいけない。
自己と真正面から向き合うとは、日常の意識下に広がる膨大な無意識の世界と交流することである。そのための一つの方 法として外界を遮断し 面壁(めんぺ き)″の時を持つことをお薦めする。壁に向ってたとえ一、二時間でも五感の全てを解き放ち静かに坐ると、なんと自分の心を見つめていなかったかが分かってくるものだ。一遍何もかも捨てて心を 空≠ノしてみる。すると違った視点が生まれ視座が広がって、なんだ小さな事にごちゃごちゃしていたんだなあと、すっと楽になる。是非一度お試し頂きたい。
 

 

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