昭和三十六年十八歳の時、私は京都の或る寺へ小僧に入った。周辺は西陣織の小さな機屋さんが軒を連ねており、門前には棟割り長屋がずっと続いていた。今でも夏の暑い盛りになるとそれぞれ縁台を出して涼をとる姿を見かける、京都の典型的な下町風情を留めている所である。寺の檀家は少なく、和尚も独り者でこじんまりとしていた。小僧としての私の主な仕事は庭掃除、草引き、他には三度の食事の支度という繰り返しの毎日であっ
た。小僧は私独りきりだったので、何から何までやらなければならなかったが、それが却って気楽でもあった。特に和尚も余り細かいことは言わない放任主義であったから、今ならとても恥ずかしくて人様には言えないような私の未熟さも、余程の事がなければ目をつぶって見逃してくれていた。
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