昭和五十年、僧堂修行に一応の区切りを付けた私は、鎌倉の小庵に住職した。檀家は一軒もなく、主な仕事といえば毎日の境内掃除と草取りであった。私はこんなに何もない寺の住職になって、一体これから何をしてゆけば良いのかと考えた。そうしているうち自然に、自分には矢張り修行を続けてゆく以外に道はないのだと思うようになった。そして一つの志をたてた。当時三十三才だったが、年
六回の大接心(おおぜっしん、一週間集中的に坐禅修行する。)をこれから六十才還暦まで頑張って通い続けようと心に決めたのである。とは言うものの、一端道場を出てしまえば世間一般の生活をしているわけで、これからずっと志を曲げずに通うことが出来るものか気掛かりであった。しかし案ずるより産むが易しとはこのことで、一回行けばむしろ次が待ち遠しい程になった。
|